「行為の代数学」
大澤真幸著
存在の基点を、行為=指し示すこととし、
スペンサー・ブラウンの算法の形式と見合うことを示す。
この、指し示しを遂行する身体の自身への関与から、
時間・意味・伝達・権力へ、
第三者の審級と自己準拠的な指し示しの社会的システムの
基点を明らかにする。
言葉の心情に流れたり、弁証法に納まらない、
代数学という論理で描きと通すところが基点足るゆえ。
209頁からの、回路図の . . . 本文を読む
「ファンクション・・
「意図すること・機能すること・・・
「共感すること・・・・
・・・コピーすること・・
から、”注意”という概念に近づいて
「知覚の宙吊り」ジョナサン・クレーリー著を通読した。
近代を借り物の言葉で走ってしまった日本は、
西欧での近世から近代の感性の転換を、
同じようには体験していないことが分かる。
この本は、
モネ、スーラ、セザンヌと知覚と表 . . . 本文を読む
11月21日夜は、「ご臨終メディア -質問しないマスコミと一人で考えない日本人」
対談を書いた森達也氏、森巣博氏の
青山ブックスセンター主催のトーク・ライブを聞いた。
本の内容は、
報道人への志の喚起と、(マス)メディアを消費する日本人への警告という印象です。
映像の仕事をする森氏は、
TVという強大なマス・メディア・チャネルでの、
情報の単純化を憂います。
20世紀の情動的な流動社会は、映画と . . . 本文を読む
高齢化社会とか2007年問題・団塊世代とか、
課題・市場・メディアは、常に連動して動く。
「メディア写真論―メディア社会の中の写真を考える」佐野 寛 著
一見メディア論・写真論とみえるこの著作、
実は十分団塊世代向き生活論だと、一気に読み込んでしまいました。
内容は、”写真”をメディアと捉え、その機能の歴史をたどります。
そして、”写す人、「写真」、「メディア装置」、見る人” という構造が、
. . . 本文を読む
ケヤキ並木も美しいけれど、
今日からは「道玄坂 花 はな 計画」
いろいろな人と、花を植え、身体を動かして、
ひと遊びできました。
「何かいいことしている」という以前に、
いろいろな人と一緒に動いて、気分を共にすることは、
自身のこわばりが解ける、遊びみたいな気分でした。
いい・こみゅにてぃ世田谷活動での、
裏方の仕事気分とは、かなり違います。
この計画のきっかけは、7月12日
NPO法人 . . . 本文を読む
意識の強度は、即自・対自のコミュニケーションとメディアの問題だ、とフランス暴動から遠く離れて
で記した。
即自の強度は、自身の場、ローカルに支えられる。
このローカルは、時空間でもあり、コンテキストでもある。
即自がグローバルを意識するのは、
複雑系の全組織化を目指す楽天的科学主義か、
絶対距離を置く神と名乗るようなものだ。
逆説的だが、通貨自体がグローバル化したとき、
神に代わろうと . . . 本文を読む
テロから暴動へ、
フランス暴動は、生存戦争が市場競合へと転化しきれない社会的なエントロピーが、ユビキタス社会化により顕在化している現象なのだろうか?
他山の石というよりは、
「蜘蛛の糸」芥川龍之介著の糸を上っているつもりの私から見ていると、社会に対する無力感だけが募る。
住宅と雇用の差別だとか、アフリカからの移民との民族の対立とか、キリスト教とイスラム教という宗教の対立とか
分析・理解しても何 . . . 本文を読む
”箱の家”の難波和彦氏とMUJIとの協作、
MUJI+INFILL世田谷モデルハウスを拝見し、
一夜明けると、昔読んだ、阿部次郎著の「三太郎の日記」が思い出された。
近代を歩む大正期の小説には、近世の社会関係だけでなく
背景としての自然の猛威・干渉から、自律しようとする自意識があった。
素材・構造・設備による環境からの自律
箱という記号性による、社会状況からの自律
その自律の一室空間を支える . . . 本文を読む
台湾から帰って、渋谷駅地下街を通り、
フードショー、TSUTAYAなどと
昔からのファッション・雑貨店などが混在していて、
台北と似ているなと思いつつ、青山通りへ向かう。
青山ブックセンター本店へ
降りる目に飛び込んできたのは、
戦車、
そして、曲げられた砲身の先に花、
この場での武器という違和感、
原寸の大きさや色が、
バルーンの軽さを超えて
強い刺激となっている。
これは、”RETIRE . . . 本文を読む