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「田園都市線・世田谷線まちづくり交流会」
28日(土)の午後、昭和女子大に集まった。
50人ほど自己紹介のあと、
東大の家田先生の”協働”の話、懇親会。
世田谷・渋谷・目黒・品川・川崎などから、
世田谷線から池上線まで鉄道の網目をたどって集うのは、
学校や職場との日常とは別次元。
プロジェクトだ、目的だと先を急がない、
ゆったりとした時が流れていた。
そう、私たちの生活は、
家と職場を往 . . . 本文を読む
生活の中のブロードバンド・コミュニケーション
年明けに、プロジェクターで映す部屋のスクリーンを、
72インチに大きくした。
そこで映る人には、等身大以上に接近した感覚だ。
2週間も見続けると、
深夜番組のだらだらした映像が、とても心地よく感じてくる。
夜半までの映画とかバラエティー番組、トーク番組では、
押し付けられる感覚が強すぎるのだ。
シナリオも設定だけで演出も少なく、セットも簡単、
映 . . . 本文を読む
朝方までの粉雪が、
ボタン雪に変わった
いろいろなことを、
全て白で多い尽くす雪
夜のとばりはゆっくりと
闇に皆を隠しても、
ともす明かりが、互いの近さを感じさせるのに、
降る雪は、隔てるばかり
それでもと身を固め、
新たな日々へと踏み出してゆく
今日は大寒、
センター試験の日、
そして私も春への第一歩
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「失語症」から「流語症」・・・・を振り返ってみると、
言葉から画像への流れの中にいることがわかる。
画像はコトバ
画像に論理はあるの?
コトバと画像
コトバの自転
画像と描画
都会の"トライブ(族)"同士のコトバ
参考: W.J.オング、 「声の文化と文字の文化」
ベン . . . 本文を読む
指し示しというのは、行為でもあり、また表現でもある。
表現の始まりは、叫びや唸り、そして”ことば”が生まれる。
今、電波到達距離に限られていた放送が、ネットワークで開放されるとき、
”cast”ではなく、”feed”という感覚が実現しつつある。
そんな状況の中で、自分が大量に言葉を吐き出し続けている中で、
言葉を失っていることに気付かされた。
それは、言葉自体のことだけではなく、
語る主体と相 . . . 本文を読む
個人の存在の基点を、行為=指し示すこととして「行為の代数学」・・・
行為は、時期と身体の場に縛られている。
その身体を棚上げして、
行為の”時”を、通時・共時・常時とか
”期”を、同期・半同期・非同期とか語る。
”時”は、月日のうつり、ころ、おり・・・
”期”は、待ちもうけること、とりきめた日時、
一定の時からとき間での間(出典:広辞苑)
ミレナリオ・・・
同期・半同期・非同期と通時・共時・ . . . 本文を読む
いつのまにやら、
大晦日から元旦へ。
チャントした家父長的家族や、
母系的家庭的な活動に、深く関わらないで、
チョット参加するだけという感じながらの、
「明けましておめでとう」です。
人それぞれに、鐘突き、初日の出、初詣に参り、参加して、
紅白・第九・レコード大賞・格闘技・漫才などなど、同期メディアを楽しみ、
DVDやネットで、パッケージされた映画など、それぞれに異なるものを観て、
その間にも . . . 本文を読む