”レイチェル” と "素子”
『ブレードランナー』:『攻殻機動隊ーGoast in the shell、Inocence』
レプリカント : サイボーグ
遺伝子工学 : 臓器移植
記憶 : 記号
クオリア : メタファー
身体へ : ネットへ
依存する二人 : 繫がっている二人
ロイ : 人形使い . . . 本文を読む
「存在論的メディア論」 ハイデガーとヴィリリオ
和田伸一郎 著、新曜社 2004年12月20日発刊
に眼を通した。
存在をしている実感があった頃、
コトの変化を、身体にしっくりと染み付けて暮らしていた頃は、
“ワタシ”の場所も時間も、もっとくっきりしていた。
変わったのは、技術による速度だった。
電話がなぜ嫌いなのか、分かった。
身体の居ない他所が、ここに現われるから、
“後ずさり”する . . . 本文を読む
いつもの渋谷、ハチ公前
近づきがたい
一人の舞踏家の踊り
隔てる距離
その違和感を、収め切れなくて
写真を天地転倒させてみたら、
落ち着いた
俺たちって、
立っているのではなくって、
ぶら下がっているんじゃないの?
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青山劇場前、
丁度、今かかっている「West Side Story」が終わったとこ、
ぞろぞろ、ぞろぞろ
女性ばかりがなだれ出てきたと思ったら、
入り口の柱を巻いた掲示のところで、
やおら携帯をかざして、
カシャ!カシャ!カシャ!
もー、ひたすら、とり憑かれたように、
次々と、カシャ!カシャ!カシャ!
そして、渋谷駅までの道、興奮冷めやらない人が
帯のように続いて歩いているのです。
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”日本は家族主義ではない!”
というような話を、
<文明論から見た家庭と家族 - 梅棹忠夫
「家の中を認知科学する」 新曜社 >
が記しています。
明治政府が日本の家族の伝統として、
一部の武家社会の伝統をイエ制度として、
多くの農民・町民の生活とのズレに苦しんできたとのことです。
家族という共同体ではなく、農村の村と同じような利益社会ではなかったかとのこと。
江戸時代の農民・町人は、長子相続 . . . 本文を読む
西暦でいう2004年12月19日も、
旧暦(太陰太陽暦)でいえばまだ秋、
11月8日、霜月
駒場リサーチパーク
鉄+ガラス+コンクリートの新研究棟や、
年月を経たレンガ棟の色の深さの下、
今年の銀杏の葉も散って、
古い幹の力強さが残ります。
広葉樹林の下、
落ち葉がつくる土が1mmできるまでには、
100年がかかるとか・・・
先端まちづくり学校にて、
「まちづくりと新たな財源」を学ぶ週末で . . . 本文を読む
誰もが迷子になる街、東京で、
渋谷のハチ公は、人を待つ象徴の一つ
”出会い”すらゲームやビジネスになる時代、
今日も、多くの人と人の出会いを見ていると、
自分をまず満足させようとすれば、
相手をとっかえ、ひっかえ、
相手に要求するばっかりで、
いずれ迷子になるかもと、
心配顔で見ています。
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小津安二郎の「東京物語」は、
確かな街、尾道から、
巣立った子供達が暮らす、見えない街東京へ、
孫、子供達との距離が増し、
妻が先立ち、
確かだった暮らしが、形をうしなってゆく
”有”から、”無”へ
「東京画」で、小津安二郎監督へのオマージュを描いた
ヴィム・ベンダースの「ベルリン・天使の詩」
廃墟から立ち上がりつつあるベルリン
壁にかこまれ、だれも迷子になれない町
重さも、温かさもない天使が . . . 本文を読む
”韓流”の前には、日本の「おしん」や、「トレンディー」ドラマも在ったし、
Jポップスがラジカセ、衛星放送、CD・・・でアジアにひろがった。
ネットで曲を引っぱり出せるようになってくると、
年代も、地域も、言語の違いを超えて、
身体で感じあえることもある。
ある中国映画の中で、
「こんなに感動したんだから、言葉だけではなくって
歌でないと伝えきれない・・・」と、
歌いだし、踊りだす場面があっ . . . 本文を読む
物理的に生きることは、他の生命にとって暴力だし、
家庭でも街でも、社会が組織化されることは政治だろう。
コトバや叫び、身体の衝動が、
男と女のかかわりの中で育ち、
歌や祭となり、
定型化された生活の文化となり、
同時に、政治でありつづけることは変わらない。
米国では、欧州と違う”永遠のフロンティア”という米国生活意識を、
歌・映画・TVドラマがをつくってきた。
ウエスタン・ゴスペル・ソウル・ジャ . . . 本文を読む