資源を未来に使おうとする人もいるし、
過去のために使おうとする人もいる。
どちらも、エゴでかまわないけれど、
何を攻め、何を守るのか、
判っている人だけが、最後まで戦い続けるだろう。
組織の面子?
そりゃ、守るものが違う。
情報化が、
面白く、楽しく、
本当の生きるリスク、スリルを
見せてくれるものになれるのか?
20世紀のメディアは、
多くの欲望を破壊に向けたではないか?
今朝の六本木 . . . 本文を読む
「映像」といっても、二極あって、
一方では、人間感性のリアリティ側へ、
他方では、対象存在のリアリティ側へむかいます。
人間感性側のリアリティとして、視覚から語れば、
網膜像と視床から他の感覚との関係付けられる手がかりの強さ・回数・間隔などとなります。
視覚強さは、鮮度として、密度・画素数・輝度など、大画面やきめ細かさが触覚へ。
画面の切り替わりの速さが、30回/秒を越えれば、人間にとって、連続 . . . 本文を読む
ナレーションなし、映像と音だけ、
それも新規の撮影ナシ というとこで、
「アトミック・カフェ」を観た。
監督は、ケヴィン・ラファティ
これは、アトミック:原子の:atmic という
テクノロジーが切り口で、ナコイカッツィ」と重なる部分があり、
”原子爆弾”に関わり始めた人間の実態を映し出す、
映像カットによるプロパガンダの意図がより前面にでている。
言葉も音も映像も、
あるいは、人間が感じる . . . 本文を読む
テクノロジーにより地球にはびこっている獣の記録
豊かな自然の中にうまれた”南”を中心とする映像の 「ボワカッツィ」 1987年
厳しい自然からテクノロジーをモノにした”北”を中心とする「コヤニスカッツィ」 1984年
そして、映像と音楽での思考・編集による「ナコイカッツィ」 2004年
http://www.naqoy.com/naqoy/
題名は、アメリカ先住民の言葉を引用し、
軸は、さ迷える . . . 本文を読む
NAQOYQATSI ナコイカッツィ
Godfrey Reggio ゴッドフリー・レジオ 監督 を脳感した。
映像と音楽による文明の詩
映像は、断片化され、イメージが固まるまで重ねられる。
凝集された純化された映像が、重ねられ、繫がれながら、
既存の視覚の肉がそぎ落されてゆく。
音楽も、電子時計のように刻まれた時間の上に配置され、
フレーズは変形されながら、イメージが固まるまで . . . 本文を読む
ソフトバンクは、通信のIT化
楽天は、流通のIT化
そして、
ライブドアは、メディアのIT化
ニッポン放送、幻冬舎 と、
いよいよ幕が開いた感じです。
新しいぶどう酒は、新しい皮袋で . . . 本文を読む
この「映画・音楽・・・パッケージ」という、カテゴリーをつくったのは、
映像の一シーン、音楽の一フレーズが、
個人の身体の奥に染み付いているだけではなく、
本のようにパッケージとして、記録され、流通し、個人が所有しているからです。
コトバが、歌や物語として、人から人へ伝えられ、
文字に刻まれ、印刷され、
一人一人が読み書きができ、記録をもつことができた。
文字・印刷文化の時代が続いてきた。
しか . . . 本文を読む
また、「座頭市」 北野武 監督 を観た。
田んぼでの鋤の音、マキを割る音、歩く音、・・・
それぞれがリズムとなり、小気味よく身体を揺する。
その音が、踊りが
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の
工場の機械音、レールの継ぎ目を渡る貨車のリズム
などを思い起こす。
一方では、戦いまでもがリズムを刻み、
他方では、裁判での証言や絞首刑への108のステップさえ、
リズムし、歌にしてしまった。
身体の . . . 本文を読む
饒舌な映画を見つづけたあと、
『HANABI』北野武監督を観た。
ちょうど読みかけていた
「コメント 力」斉藤孝著 の云うように、
切れ味のいいシーン、
僅かな言葉で、
決めてゆく心地よさ。
病も暴力も、
命を削りまた、命を絶ってゆく。
愛のコトバは
「ありがとう・・・ごめんなさい。」
バーン … バーン
HANABI
腹から泣いた!
. . . 本文を読む
米国のAT&Tが、地域通信会社大手のSBCに吸収される。
私の会社アルフは、社名変更当時、AT&TのIP通信代理店だった時期もある。
浜松マルチメディア事業研究会コールセンター部会では、
AT&T(後に分社化したルーセントテクノロジー)を呼び、
コールセンター・セミナー開催させて戴いた。
またNTT、ソニーとAT&Tの実験会社NTTファン企画の
PASEOプロジェクトは、PDAとエージェント・サー . . . 本文を読む