言葉が解けだし、写真や映像が、モノの写しでなく、情感により扁形した音声のようになってきた。
パーソナル・コンピューターの写真・映像・イラスト・音声を編集・合成するソフトウェア、PC・PDAからケータイ・ソフトフォンと小さく・身にから話さなく・ネットワークに繫ぎっぱなしにするほどに、刺激は言葉へと変換されない。
そして、大画面の液晶TVが、ネットに繋がり、スマートTVとなって、さらにその視野を被い、変形された刺激の総量をふやす。
書籍電子化、デジタルサイネージ、言葉もモノから電子へと居場所を拡げてしまったとき、名前も登録名とパスワードの組み合わせ。
相変わらずは、墓石の戒名か? . . . 本文を読む
国会内では、失言が続いているという。
失言だと言われている’暴力’という言葉は、’軍事力’、’自衛力’などの中から選ばれた言葉だろう。発言の立場により、自己中心的な’自衛’、国家間の’軍事力’、が使えないなら、枠をひろげて’物理的な強制力’とでも、言い換えればいいのだろうか? 情報社会で国際化しているのなら、情報的な強制力とはなにかと、思考を拡げてもみたくなる。
尖閣列島の映像も、海上保安行為と . . . 本文を読む
著作の出口から語れば、近代では、大衆から公衆への意識が、資源や市場を求める欲動のなかで、自己都合で他者の否定から環境の破壊まで進めてきた。
では、マスメディアとネットワークメディアの二重のメディアの中にいて、孤立した群衆は、一瞬一瞬の意識を、どう繋げてゆけばいいのか?
ネットワークに載る刺激は、もうバラバラな言語や音声ではなく、写像・映像・音像のりミックス。
メタ刺激を再入力し続けることで、群衆 . . . 本文を読む