「iPodキラーになれるのか?」,ベールを脱ぎ始めた「Zune」に沸くメディア
MSのメディアプレイヤーには、WiFiでIPネットワークにつなげるとのこと。
ユビキタス時代の端末には、日本のように携帯発展系とだという側と、
PC発展系があるだろう。
その無線インフラが整わない時代では、メディアプレイヤーというのは、
携帯電話と一緒にもつ道具なのだろう。
しかし、端末を2台持ち歩く生活って、わ . . . 本文を読む
『マスメディアのリアリティ』から試みたモデル図 confidential@alf
(2/3のつづき)
コミュニケーションとメディアの道具が普及して、
メディアのパーソナル化が進んできた。
印刷での個人化は自主出版として、物流の限度があったが、
電子化・ネットワーク化により、個人メディアが膨張し続けている。
個人メディアとしてのHP、ML,そしてSNS、ブログが、
固定したP . . . 本文を読む
『マスメディアのリアリティ』から試みたモデル図 confidentisal@alf
(1/3 のつづき)
コミュニケーションがメディアに媒介され、
そのメディアの複製が集積しだすと、
ニュース/ルポルタージュ、娯楽、広告へと
メディアの内容による分化がおきる。
社会が複雑になると、メディアが複製され、
インタラクティブなコミュニケーションに対して、
一方的なメディアの量が増え . . . 本文を読む
複雑系の中での自己組織化として、
社会システム論を展開しているニクラス・ルーマンの
『マスメディアのリアリティ』から、
マスメディアの図解を試みた。confidential@alf
行為は、指し示しとして存在する。
その指し示し自体を、他社に伝えることをコミュニケーションとする。
そのコミュニケーションを媒介するものをメディアとする。
事例:見立て、描画・記号・文字 . . . 本文を読む
『マルチチュードの文法』 - 現代的な生活形式を分析するために
パオロ・ヴィルノ著を読んで
現代人の存在のあり方を分析するために、
国家が交代した公的領域にあらわれた
<マルチチュード=多数的なもの>という言葉が語られている。
「私」であると同時に、「ひと」としての個体が、
<general intellect>社会的知性により、
多数的なまとまりをもつことを
マルチチュードと . . . 本文を読む
映画を語りあうときって、
これ、”観た?””どうだった?””よかった?”と聞き、
”観た!””すごかった!””面白かった”などと言葉上は単純なことが多い。
お互いに観た映像を思い出し、その場面同士を比較したりする。
セリフ、設定、配役、演技、カメラワーク、物語、・・・などその次へ踏み込むことは、なかなか立ち入れず、また入ろうとしない。
「映画」単位、「映像」単位での好み・趣味の問題として追求はし . . . 本文を読む
映画監督ジェーン・カンピオンの作品を、制作年代を遡るように3作観た。
「ある貴婦人の肖像」 (1996)
「ピアノ・レッスン」 (1993)
「エンジェル・アット・マイ・テーブル」 (1990)
最初に観た「ある貴婦人の肖像」は、何年も前だったが、
そのときは社会的な背景、
近世から近代へ、貴族社会から市民社会への移行のなかでの女性の生き様を感じた。
その社会的な重さと、映像の精緻 . . . 本文を読む
読みかじりしていた、『社会の芸術』二クラス・ルーマン を読み込むにあたって、
『社会システム理論 上』ニコラス・ルーマン
『社会システム理論 下』ニコラス・ルーマン
を読み直してみた。
これは、生体システム、心理システム、社会システム
それぞれを混同せず、社会理論ではなく、社会システム論である。
また、システムそのものでも、そのシステムの概念でもなく、
システム概念を総監する概念のシステム論であ . . . 本文を読む
オットセイの曲芸
サーカスの舞台
ガラスのショーケース
店内の照明
売り子、
お客
2重ガラスに映る
プラタナス
通り過ぎる人、見つめる人
青山通り
向かい側の青学会館
重なり合ったメタファーの舞台
ルースにカップリングされた味は、
いかが?
. . . 本文を読む
交通広告のおせっかい 1/2 のつづき
しかし、TVドラマの主人公達が
直接駅に露出すると、
”おせっかい”と感じるのは、なぜ?
1.TVドラマの世界へと引きずり込まれる
2. 自分の生活の中に波紋が広がる
3.米倉涼子に魅惑される
4.映画の広告ではそんなに感じない?
1.は、社会生活の中で役割を演じ、足早に目的地へ向かっているときに
私的なTVドラマの気分が混じってくる?
2.違う . . . 本文を読む