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アルジェリアは「金縁市場交換」の軋轢

2013-01-27 12:37:16 | 暮らし・街・環境

私たちは、資源開発も交易の自由も、だれもが喜ぶことだと信じて疑わない。

グローバル経済の発展は、年金基金の利回りにも貢献する。
フクシマ以後、理想のクリーンエネルギー実用化を唱え、
自然力を凌駕する安全対策を求めながら、目先のエネルギーコスト競争力が重要課題となる。

近代の「自由・平等・博愛」とは、植民地開発・自由貿易・為替の自由化など、市場交換拡大をを支えてきた理念でもある。

暴力という個人力も戦争という国家軍事力も、、生産拠点・消費市場として世界を見る時代では、市場弱者の最後の手段となった。
かって、数字を生み出したイスラム諸国も、漢字による中華圏を維持した中国も、地中海貿易で拡散し、ルネッサンスから近代科学をささえたローマ字のグローバル化の最中にある。

中近東・アフリカの市場弱者が、石油や天然資源争奪競争に参画できるのは、弱者の最後の手段である武力と考えるのか。

それとも、武力で、グローバル化自体を拒絶しようとする宗教なのか?

’アラブの春’と表現するのは、グローバル化側であり、既存勢力に対抗する若い世代だ。

グローバル化は、社会の人・モノ・カネの流動性を高め・早くするが故に、強者が更に強くなる金縁市場交換。

大脳皮質の肥大した人間が、差異を求め続ける本能がグローバル化を進めている。

ソーシャルコミュニケーションは、絵文字・アバター・スタンプと、より直感化・ヒューリスティックなメディアにより、グローバル化を進める。


’近縁’は、身体が繰り返し確かめ合ってきた共通の場での体験の積み重ねでなりたってきた。それが、文字・記号で抽象化され二次記号化されて、印刷物で拡がり、ラジオ・映画・TVで直感化がすすんだ。 そして、マスコミュニケーションとソーシャルコミュニケーションによる、流動化を早め、差異市場の拡大を支えている。

簡易な記号・図象が、身体や地域の共有する対話による共感を越えてゆく。

このグローバル化にたいし、イスラムの祈りの形式がより強固にならざるを得ないように、武力行使も又強行になる。

自然風土が最大の脅威であり、また国境だった日本人は、市場獲得・エネルギー獲得という国の武力行使を敗戦で放棄して、東西冷戦からグローバル市場時代へと、勤勉さを強みに経済競争で戦ってきた。

’平和’は、或いは、’和’は、既存勢力のバランスが維持されて、武力や暴力など、物理的強制力を行使しないでよい状態だ。

グローバル市場での競争力を持つ側は、現状維持を望み、’平和’を唄える。自由・平等・博愛も、平和も、市場経済が好きなことば。

では、グローバル市場の弱者になり、競争力を失い、自分たちの行動を自分たちで律せなくなったら?

・・・・

限りある島々、人間以上の天災の猛威を身にしみつけている日本人、

空襲も原爆も、天災のような記憶で、息災を平和という言葉に代えている日本人。

勤勉さという近縁非市場交換のコトバを、金縁市場交換のコトバにもして、世界に生き、世界に死んでゆくのだろう。

三井物産が体験したIJPCの撤退も、日揮の社員の死も、技術力の裏の、勤勉さを武器に世界を歩く戦士の悲劇なのだ。

その勤勉さを、市場にも非市場にも世界のそれぞれの場所を伴にする人たちとの共通の行動原理として、死者の冥福を祈ろう。

 

 


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