モノと心の独り言

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家庭と家族

2004-12-23 06:28:48 | 暮らし・街・環境
”日本は家族主義ではない!”
というような話を、
<文明論から見た家庭と家族 - 梅棹忠夫
  「家の中を認知科学する」 新曜社 >
が記しています。
明治政府が日本の家族の伝統として、
一部の武家社会の伝統をイエ制度として、
多くの農民・町民の生活とのズレに苦しんできたとのことです。
家族という共同体ではなく、農村の村と同じような利益社会ではなかったかとのこと。
江戸時代の農民・町人は、長子相続ではなく、分割相続が一般的だったことも柳田民俗学などで
明らかになっていたはずだと。

そうすると肩たたきは、
疲れを癒す再生産活動の一部、ということになります。
家庭の安らぎも、誰がそれを支えてきたか?
家事・子育て・地域生活は、すべて女性、男性長子は、お城へ職場へという図式は、
村人や町人にはなかった。
近代の職住分離は、その形式としての武家家庭のジェンダーをなぞってしまった。

だから、近代の分業化が、
時間の個人化
 (会社・学校・地域生活の時間などへと個人の活動を中心に分解)
家庭生産の分解
 (家庭活動の機械化・外化)、
情報の外化
 (子育て・家庭内教育・・・)などを
どんどん進めてしまった。

世代を継承する手がかりである学習・教育もまた、家庭を離れ、
就職の為の学校制度となり、生活の為の知恵は消滅してゆき、
それぞれ分化した生産・再生産(消費)グループ内で孤立してゆく。

利益集団・テーマ・関心領域である、
業界・文化・興味が同じ人たちの集まりに、
幾つか入ることで個人生活の庭は成立し、
家庭は、そのベースキャンプだと。
族として、移住し、移民してまで守りあう血は持っていない。

渋谷ハチ公前には、
何をともにする人たちが待ち合わせ集まっているのか?

もう、家庭は、
土地と住宅という、器を運営するグループへと解体しているのだろうか?
努力して、団欒や、レジャーや、行事をするのは、
”家族ゲーム”だったのだろうか?

それでも、引きこもる個室を必要とする、
あの家庭ってなんなんだろう?


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