モノと心の独り言

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韓国ドラマに国づくりの意識を観る

2004-12-07 10:16:29 | 映画・音楽・・・パッケージ・メディア
物理的に生きることは、他の生命にとって暴力だし、
家庭でも街でも、社会が組織化されることは政治だろう。
コトバや叫び、身体の衝動が、
男と女のかかわりの中で育ち、
歌や祭となり、
定型化された生活の文化となり、
同時に、政治でありつづけることは変わらない。

米国では、欧州と違う”永遠のフロンティア”という米国生活意識を、
歌・映画・TVドラマがをつくってきた。
ウエスタン・ゴスペル・ソウル・ジャズ・・・
西部劇、アメリカン・ドリーム、ホームドラマ・・・。

最近の韓国ドラマ・映画には、
中華という文化に晒され、東西覇権の戦場として、
南北に攻めあい・逃げ惑った朝鮮半島の意志を感じさせる。
北朝鮮が逆方向に走るにせよ、
IMF統治により世界経済に組み込まれたころからか?
この”韓流”は勢いをつけてきた。

欧州が、その生活や政治文化を
”ブランド”や”ISO”として、世界へ押しだしているように、
きめ細かな米作り文化をモノづくりに変えて、
世界に出ているのが日本なのだろう。

喜怒哀楽の相でいえば、哀に強い”韓流”が、
親子や男女のドラマに強いのも、
歴史のせいもあるかもしれないが、
生活意識として守ろうとしている、韓国国民の意思を感じる。

日本の歌やコミック、アニメが、
個人の感性を細分化し、多重化し、
自然や社会と交感できる力を伸ばしてくれれば、
感性社会力として、
その存在意義を発揮できるのだけど。

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