モノと心の独り言

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ユーロという通貨は、もっとローカルでいいんじゃない?

2011-10-24 09:24:34 | ブログ「モノと心の独り言」のご案内

 

EUは、分かる・・・王族が国境を分け、

親戚どうしで繋がっていたんだから。

 

しかし、ユーロという通貨は、もっとローカルでいいんじゃない?

地域資源のあり方も、生業のしかたが違う。

交換できるモノと交換出来ないモノ、

計ることができるモノと、計りきれないモノが、

世の中にあるということなんだから。

それは、ベニスの商人の資本主義で、学んだ。

    働かない政治屋と、働きたい若者や高齢者

通貨自体を、無限に作れる欲望の手がかりにして、

国際金融資本市場が有効に働いた時期は、

物や人の移動を差異として稼いだ時代のコト。

 

情報ネットワークが広がり、

アジア・アフリカまで、ケータイで、映像でつながり始めると、

その映像フレームの外側、ラインがオフになっっている、場と時の大きさに気づき、

それぞれの場、時を、生きてしか楽しめないことに気づくのだ。

 

今、世界を市場価格という数値に変え、その差異の価値を獲れるのはのは、

ウォール街脇のスパコンなのだ!

それを支えているのは、大富豪ばかりでなく、年金・株式生活者。

そのアルゴリズムの仕掛けに増幅された金融市場資金が、

現物市場にツナミのごとく、押し寄せ、退いてゆく。

 

今日の市場情報を見つめ、自分だけは、その差益を採ろうと、、

運動不足と相手不足で、身体も心も病んで、医療費まで増大。

もう足下とは、東日本だけでなくずれはじめ、

バンコックの街に、チャオプラヤ(河)が溢れる。

 

考えれば五大陸は移動して出来たのだし、今も動いている。

氷河期のおかげで、爬虫類の天下は終わったのだし、

今が、いつまでも続くという「20世紀の夢」にしがみつくのは、

個人の欲望が国民戦争という虐殺の世紀を生んだ事実を思い出せば・・・

 

自分の足で、足下を踏み固めて、気の合う人と楽しく暮らしてゆこうというのが、

今日この頃の、気分なのだ。

 

大都会の街暮らしに集い、田園・自然の付加を少なくし、

猿の毛繕いのごとき、対話を楽しむのだ。

身近なことが面白い。

 


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