N.ルーマンの科学・経済・政治・宗教など、それぞれのコードで自律したシステムだが、それぞれのコミュニケーションは他のシステムにメディアを介して開かれている。そして、コードもメディアも同じようにコミュニケーションの手がかりであるが故に、直喩・比喩、引用・例えなどで寄せ合わされ、相関・創発されてゆく。多重の役割・場・時を持つ、生命同士が多重なメディアで呼応しているコミュニケーションが、それぞれのシステムを自律分散し創発させている。
政治と宗教と経済の相関する手がかりであるメディアが、馴染みという近接性による集団に化した政党を相反させているのは、メディアが経済に取り込まれているからだ。メディアは、現実を映し出す科学性よりも、政治と人格を混同し愛憎のスキャンダルへの好奇心のほうがメディアは逐次更新して時間市場を満たすことができる。しかし、人間の好奇心、いやコミュニケートしようとする衝動は、経済原則も、生存本能も、越えていないだろうか?アートとはその好奇心の断片になっているのかもしれない。市場性をもとめれば怠くなるが、創発の手がかりでありつづけるのでは?
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