小津安二郎の「東京物語」は、
確かな街、尾道から、
巣立った子供達が暮らす、見えない街東京へ、
孫、子供達との距離が増し、
妻が先立ち、
確かだった暮らしが、形をうしなってゆく
”有”から、”無”へ
「東京画」で、小津安二郎監督へのオマージュを描いた
ヴィム・ベンダースの「ベルリン・天使の詩」
廃墟から立ち上がりつつあるベルリン
壁にかこまれ、だれも迷子になれない町
重さも、温かさもない天使が、
子供から大人へ
無限から、有限の人間の身体を得、
”空”から”色”へ
東京も、廃墟からたち上がったが、
街に意志はなく、
誰もが迷子になる。
確かな街、尾道から、
巣立った子供達が暮らす、見えない街東京へ、
孫、子供達との距離が増し、
妻が先立ち、
確かだった暮らしが、形をうしなってゆく
”有”から、”無”へ
「東京画」で、小津安二郎監督へのオマージュを描いた
ヴィム・ベンダースの「ベルリン・天使の詩」
廃墟から立ち上がりつつあるベルリン
壁にかこまれ、だれも迷子になれない町
重さも、温かさもない天使が、
子供から大人へ
無限から、有限の人間の身体を得、
”空”から”色”へ
東京も、廃墟からたち上がったが、
街に意志はなく、
誰もが迷子になる。
身体を失い、彼岸の世界へと逝く。
残された夫には、尾道の暮らし、自然が、無言で彼岸と繫がっているようで、
生と死は、同時であり、境界もなく、生もまた仮の姿。
「ベルリン・天使の詩」では、
語り続ける天使達、生命の歴史以前からさ迷う天使達、「父と子と聖霊」として、天と地をつなぐ。
天と地は、隔てられたものとしてある。
日本では、大陸の仏教が、天国・地獄などを持ち込んできた。しかし、八百の神々は、それぞれの地域の魂として、人とともにに、仕事を持ち暮らしてきた。
日本では、生と死は、ともにあり、
自然と生命もまた、ともにあるようだ。
ベルリンの天使が受肉するとき、
それは、地上の世界、カラーの世界、
「空」から「色」の世界への
転移を連想する。
「空即是色」、「色即是空」とは、
異なる意識のあり方が、ある。