モノと心の独り言

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”レイチェル” と ”素子”

2004-12-31 10:12:45 | 映画・音楽・・・パッケージ・メディア
”レイチェル”  と "素子”
『ブレードランナー』:『攻殻機動隊ーGoast in the shell、Inocence』
レプリカント    :  サイボーグ
遺伝子工学     :  臓器移植
記憶        :  記号
クオリア      :  メタファー
身体へ       :  ネットへ
依存する二人    :  繫がっている二人
ロイ        :  人形使い        
レイチェル     :  素子
デッカード     :  馬頭(バトー)

レプリカントが人間の境界に入り込み
          :人間の存在が消えかけて
頼りあう身体    :ゴーストの融合
エロス       :タナトス
色         :空

死が鮮やかにするレプリカントの「人間性」
          :犬とともに生き続けるサイボーグの「イノセンス」

レプリカントたちの 限りある4年間の命、
生の儚さ、死の恐怖、

皮肉なことに人間の生々しさを魅せるのは、
レイチェルとロイ、ロイ自身、レイチェル自身であって、
デッカードは、傍観者でしかない。

素子は、身体は取替え可能、
コミックでは、オカマの殻を借りたし、
(ここで、男女の性を越えてしまっていた!)
映画では、クラシック・ロリータをかりた。
”人形つかい”と融合してしまえば、
生と死のある世界を超えていた。
  

リドリー・スコットの次作は、『エイリアン』?
永遠の”男根”
カント的に生き残るという完全理性をもつ究極の自律生命体?
裏返せば、エコノミーなデカルト's マトリックスなのか?
と続いてしまいそうだけど。

押井守 は、“人形“の話?
永遠の”器”
肉を離れた完全自由思念の容器?
あるいは、イノセンスとして語られれる動物の無意識への憧れ?
これまた、オモシロそう。

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映画関係の独り言、次は
『Dancing in the dark』 と 『DOGVILLE』
「人間性」の解体について

その次は、
『少林サッカー』
コミュニケーションとメディアについて、
『カンフーハッスル』を、観ておきたいなー!
表出してみようかな。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
面白いです (つっきー)
2005-05-03 08:07:22
関連性のある記事へのリンク、ありがとうございます。



レイチェルと素子、考えつきそうで考えつかなかった比較で、たいへん面白いと思いました。



二人の共通性は「自分が人間であるかどうか自信が持てないところ」といった感じでしょうか。

結局、レイチェルは死を迎えざるを得ない”人間”として最期を迎え、素子は人間であるために制約されるすべてのものから解放されました。

二人のたどる道は分かれていますが、そこへ至るまでの道は似ているのだなと思いました。
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