モノと心の独り言

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「アバウト・シュミット」と「東京物語」

2004-11-28 07:45:28 | 映画・音楽・・・パッケージ・メディア
時代も国も違う二つの映画、共通点は残された老父

シュミットの住む町は、ICメモリーのようなアメリカの郊外住宅
大型のキャンピングカーも老妻に先立たれた後は、
日常の買物から娘の結婚式への放浪の宿。

「東京物語」では、瀬戸内、 
尾道から都会へ出た子供達を老夫婦が訪ねる。
それぞれの所帯を抱える長男・長女の家やら、
熱海の温泉を廻ったあげくは、「宿無し」気分。

シュミットに描かれる街は、住宅街からショッピングセンター、
道路で入る、街、オフィス、
「東京物語」は、瀬戸内・尾道の風景からで、
鉄道向かう駅・汽車、おばけ煙突、土手、はとバス、

シュミットの支えは、仮親となり寄付を続けるアフリカの子供への手紙。
会社の人、別の街で仕事をしている一人娘、嫁ぐ相手の家族、
みな個人としての付き合いでしかない。
東京物語で老母を泊め、老父と最後までいたのは、
戦士した次男の嫁と未婚の三女、そして近所の他人。
孫は、もう尾道とも老夫婦とも縁の薄い存在で、
期待をかける気持ちを押し止める気持ちが、海を眺めさせる。

チャンスと職を求めて里をで、他の街・都会に所帯を持ち、
経済的に孤立してゆくことで、
その絆を細くしてゆく人たち。

その不安と諦めを、孤立している人がかばいながら、
それぞれの映画は終わる。


ps)
やはり、思い出すのは、これまた映画「幻の光」
内海の陽だまりとは対照的に、能登半島、
日本海の荒波を受ける崖にへばりついた漁村から、
夕日を眺め続ける日本の老夫婦・大阪から戻った再婚の若夫婦

シュミットは、錯覚でもいいと思いつつ、
遠いアフリカの子供への送金と手紙に、未来を託す。
まだ生きどころを描いているのは、アメリカの映画は
「バクダッド・カフェ」だなー。

ps)
映画という物語が、一つのコトバのように、
体験や感覚を、参照され、引用し、共感してゆくのが21世紀
モノを所有し、モノに語らせる20世紀よサヨウナラ

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