のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

TAO

2006-11-20 | ラスベガス
 今日はそう、トライアスロンの記録を書き上げるつもりが誘いが入り、いつもお世話になっているアランさんとお友達と食事に行きました。ベネチアンホテルのTAO(道)。いいと聞きながら行ったことがなかったのでわくわくしました。アランさんも初めて。
 入り口にはバスタブのような大きな容器が6つほどあり、バラの花びらが一面に浮かんでいて、その中にろうそくが灯してありました。中は天井が高く大仏様も御座しました。
 メニューは日本食、中華、台湾などアジア食中心。前菜にみなさんは揚げワンタン、えびの天麩羅、私はししとう焼きのゆずがけ。メインはお友達がしゃぶしゃぶ、アランさんが神戸牛のステーキ(さすが!!!)、私はシーバスのみそ焼きをいただきました。アランさんのお蔭で私もいろいろなレストランに行けます。
 お友達はKAを以前にご覧になっているのですが、バックステージをご案内できなかったのでMGMに行ってみました。ところが例のコマーシャル用の撮影が長引いていて、最後のシーンを撮っているはずの時間に二つ前のシーンをしていました。思ったよりも大掛かりの撮影、スタッフの数。ステージはこっそりと横からほんの少しだけ見るのが精一杯でした。そのとき20時近くでしたから、もう12時間MGMにいる人もいることになります。ご苦労様です…

The District

2006-11-19 | ラスベガス
 先週、トライアスロンのために何度も通過した“The District”という場所をマリレンと訪ねました。あの日は暗いうちに到着して、車をかえて出かけ、暗くなってからもう一度戻ってきました。お店もすっかり閉まっていて、もちろんやることもあったので何も見ることができませんでした。
「明るい時間はこんな感じなんだ。」
 クリスマス“みたい”にデコレーションされていると思っていたら、そのまま。もうクリスマスの飾りつけになっていました。選手が走った通りに着くと、人々が通りのベンチやテーブルでコーヒーなどを飲んで、お日様の温かさを楽しみながらのんびりしていました。こういう感じ大好きです。
 マリレンは特に買うものもなく、私は今年から始めて、今年いっぱいはもつと思っていたゲストブックが、たくさんの方にいらしていただいたのでいっぱいになり、それがあれば欲しいと思っていました。
 ノートを売っていそうなお店に入り、私の好きな台所用品のお店に入り、写真家ファタリのギャラリーに入り…そして私たちが一番行きたかったところ、エレファントバーで“食事”をしました。
 トライアスロンのことを振り返りながらゆっくりと食事をして大満足。おまけに目の前の映画館で映画も見ることができ、楽しい休日でした。
 ここは“ラスベガス”を離れたいとき、自然の中に行くというほかに訪れたい場所だと思いました。

それはおかしい!!!

2006-11-18 | KA
 先週緊急のミーティングがあり、19,20日の週末はコマーシャル用のショーの撮影をするかもしれないので空けておいて欲しいといわれました。
 それが本決まりになり、スケジュールが出て見ると私の名前はありませんでした。私が踊るシーン、キャプティビティの撮影予定はありませんでしたが、最後のシーン、エピローグはありました。
 その後、予定表が張り出されているところにステージマネージメントのトップのステーシィがいたので行ってみると何も私が言わないうちに「ノー、ノリコ。」と。「でも、エピローグが…」それでも来なくていいと。
 残念でした。
 今日は一回目のショーが終わった直後にそのためのミーティングがありました。私は必要ないので更衣室に戻ると、隣の席のズラが「ノリコ、ミーティングがあるよ。」と教えてくれました。「私、撮影に参加しないから。」というと飛び上がるぐらいビックリして「ホント!!!それはおかしいよ」。裏側にいた双子の女の子代役のエリカも「私のことはわかるけど、あなたのキャラクターはあちらこちらで宣伝に使われているじゃない!!!それはおかしい。」
 二回目のショーの始め一番大きな舞台、クリフデッキに乗り込んだときマットに「二日とも来るの?」と訊かれ「どちらも来ない。」というと「それはラッキーだね。」「・・・」
 最後、エピローグのために待機していると、乳母役のジュリが「どっちの日に来るの?」と訊きました。「どっちも来なくていいって…」「え、え!!!それはおかしいわね。キャプティビティのシーンはないの。」「そう。でもね、私は何でもいい風に考えるから、きっと前の映像を使うのかと思って…でもエピローグのシーンを撮るじゃない。そこにもいらないって言われてちょっと残念だったけど。」「うーん。もしかしたらエピローグのシーンも花火のシルエットに人が必要なだけかもしれないわね。」さすがジュリ。
 バイグーの誕生会が前回は中国人中心、今回は多国籍人で居酒屋でありました。隣に座ったルックに何気なく訊かれました。そして、同じように答えると「それはおかしいよね…。」
 そのあと何かの話からみんなでその話になり「私はどちらも来なくていいって。」と言うと知らなかった人は口を大きく開けて「会社は何を考えているのか…」と。ミュージシャンたちは「僕たちがいらないって言われるのはまだわかるけどノリコがねえ…。」

 友達みなさんにそう思われているキャラクターであって嬉しいです。今週末、休みを頂けたことを大事にして、コマーシャル用にではなく、いらしていただいたお客様に向けていいショーができるようにしたいと思います。

指は付いています

2006-11-17 | 日記
 いつの間にか身体の調子はすっかり戻っていて、気持ちよく一日を過ごしました。舞台では鼻をぶつけたり、ケイジに置いたフルートが滑り落ちてきたり、少々ハプニングはありました。でも、これはいつの間に…
 お化粧を落としながら左の頬がひりひりすることが気になりました。その前からなんとなく痛みは感じていましたが、メイク落しが沁みたのでしょう、その前よりも気になりました。メイクを落としてから鏡を見ると、なんと2,3センチの傷が左頬に斜めに…
「これって…」

 昨日のぶつぶつ、今日の傷、これ以上顔に何か起きたらお面が必要です。 

ぶつぶつ

2006-11-16 | 日記
 身体は正直というか、気持ちは正直というか、今朝は久しぶりにゆっくりできるとわかったらくちびるにぶつぶつが現れてしまいました。気が抜けるとまではいかなくても少しほっとできるとわかったら、気が張っていて出なかったものが一気に出た感じです。口が曲がって見えるかもと思えるぐらいの酷さ。口紅を塗るのもがたがたしていて大変でした。
 
 出勤前に時間があったので、たまっているメールの返信も、ひたすら書き続けている12日の日記も終わらせるつもりが全く時間が足りず。今週末の撮影には参加をしなくていいことになったので“休み”になりました。そこで追いつくようにします。

そちらの席で・・・

2006-11-15 | KA
 新しいアーティスティックコーディネーターに少し話したいことがあるといわれ1回目のショーのあとに時間をとることになっていました。彼女は女優をしてきた方でシアターの経験の豊富な方です。どんなことを言われるのか緊張していました。 
 彼女のオフィスに入り、ドアも開けたままで話が始まりました。まずは私が今している仕事に対して喜んでいることを伝えられ、ほっとします。そしてひとつだけ気になるところがあると言いました。それを聞き私はとても嬉しくなりました。そこは私の気持ちが動くところなので時間を掛けてしていたところだったのに、ショーの時間を短くしたいがために1秒でも0.5秒でもと、短く短くされていたところだったのです。そのシーンに彼女は時間を掛けていいといってくださいました。あなたの心をもっと出していいといわれました。私が訳を話すと彼女は「そこのシーンは大切だからそんなこと気にしないでいい。アーティスティックディレクターのピエールに確認もするけれど、時間を短くするのはほかのシーンでするから。」とおっしゃってくださいました。そして「大きく何かを変えなくていい、自分の気持ちの中でそのときの思いを確認すればいい、時間を掛けて変えていけばいいから。」と。
 今までとは全く違った言われ方であり、また信頼されていることを感じる言われ方であり、嬉しく明るい気持ちになりました。

 そんな気持ちで迎えた2回目のショー、かぶりつきにバトンの先生親子がお座りのことはわかっていました。
 最後にお辞儀をして手を振るとき、いつも後ろのほうのお客様から手を振ります。舞台が下がっていっても前のお客様は見えるからです。今回もそのようにして最後に一列目を見ました。真ん中にお座りだと思って真ん中を見ました。ところがいらっしゃらないのです。空いた席があったのでバレーオブファイアーのツアーから戻れなかったのかと思いました。そしてそのまま目を左に移すと一番端に座っていらっしゃいました。
 すぐに舞台は下がり、私は素に戻って「え、あそこに座っていらしたの???」と一人で笑っていました。そこは影絵で客席に下りたところのすぐ横の席だったのです。全く気付きませんでした。静かなお客さんだなと思って私もちょっと反応を控えめにしてしまったぐらいです。
 あとからお会いして伺うと、同じ席に座った多田先生のことを私から聞いていたので「多田先生のようにオーラを出してはいけないかと無理にじっとしていた。」と。3人で大笑いしました。

Really Big Things

2006-11-14 | メディア
 トライアスロン前の2時間の睡眠がまだ尾を引いているようで目が開かない感じでした。でも、練習を始めてみると目のまわりはボーっとしたままですが、身体は動きます。私がこんな感じで、出場した選手はどんな状態になっているのだろうと何度も思いました。
 今日はDISCOVERチャンネルの撮影があり、一回目のショーの直後もそのまま舞台に残ってひとつのシーンを撮りました。どんな番組か私はわからないのですが、確か番組名は 『Really Big Things』といっていたような気がします。
 「10分で終わる」というのは撮影そのもので、お客さんが劇場からいなくなるのを待つなどその前後があったので時間が掛かりました。私が気がかりだったのは日本からのお客様にお待ちいただいていたこと。
 面会場は20名弱のみなさんでいっぱいになっていて、長時間お待ちいただいたにもかかわらず温かく迎えてくださいました。次のショーがあるので忙しなく申し訳なかったです。明日バックステージをご覧になりにまたいらっしゃるそうなので、そのときにゆっくりお話ができますように。
 夜はバイグーの誕生会。よく行く中華のお店に行きました。中国人のみなさんよく飲むこと。飲む人が9名いて34本のビールを空けていました。私は食べ続けていないと目が閉じていく感じ。そして、あらら3時。先週から時間に余裕のない日が続いています。

"O"のチケット

2006-11-13 | 日記
 寝不足回復のために目覚ましは一切かけずに寝ました。なのに朝9時過ぎに一度目が覚め、「こんなに早く起きなくても…」と、もう一度寝ました。すると12時。身体の動きは悪く、ぎくしゃくしていました。「こういう日は活動したほうがいい。」
 起きた途端に電話をかけ、30分で支度をしてメキシカンレストランで日本からのお客様とお会いしました。いろいろな話に盛り上がりついつい時間を忘れてしまいました。

 夕方からは昨日の回復パーティーがサラの家でありました。サラの家はマラソンコースの近くにあります。今日もマリレンとこのエリアに向かいます。なんだか笑ってしまいました。
 ダンケンさんは「僕は床と一体になっちゃったよ。」と座り込んでいました。やり遂げた満足感、穏やかないい顔をしていました。ねじを一本見せてくださり「これで自転車が25分遅れたんだ。」と。そして、「次のレースでもその次のレースでもいつもノリコのことをマスコットに連れて行きたい。」と。私はほかの誰でもなくダンケンさんにつくことができて本当に良かったと改めて思いました。
 サミは来年は「水泳をやりたい。」と。そして、私に自転車をしないかと勧めてきました。撮影に付き合っただけでこの満足感があるのですから、自分が完走したらどんなことになるのか、水泳が好きなら一人で全部やりたいぐらいです。みんなはいつも私が自転車に乗っているから自転車と言うけれど、私は走るほうが得意かも。「うーん。」と言いながら「申し込みの締め切りは9月ぐらいかな。」と言うと彼は「そうかもね。でもトレーニングは半年ぐらい前に始めないと。」と。ごもっともです。
 ベッキーはなんとネバダ州一速い女性だったそうです。男性部門はシルクのフィジオのピエール。「賞品があってね、ベラッジオの宿泊券でしょ、ベラッジオのステーキハウスの食事券でしょ、ラスベガスまでの航空券でしょ…一番おかしいのが“O”のチケット!」KAのチケットでなくて良かったね、と笑いました。彼女は全体でも女性で4位。昨年の自分の記録を1時間半も縮めたそうです。
 関わった全ての人の満たされた心が温かいパーティーにしていました。素晴らしい経験をさせてくれたことに改めて感謝します。

シルバーマン

2006-11-12 | Weblog
 昨晩は目覚まし時計の時刻を設定するのではなく、タイマーをかけて眠りにつきました。
 3:45起床。4:10出発。
 今日はトライアスロンの日、KAのアーティストが立ち上げた会社、『SOUL ACROBATS』が行うレース撮影の手伝いをする日でした。5:00から簡単にミーティングをし、配られた資料にビックリ。あまりにも立派な資料です。私の役目は“スポッター”車を止めた撮影場所から少し戻り、選手が来るのを双眼鏡で見て、追いかけている選手が来たらカメラマンに知らせる役でした。
 選手はベッキー、ベッキーのお父様であるダンケンさん、そしてチームKAはダランが水泳、ルックが自転車、サラがマラソンとリレーします。私は撮影チームAに入ってケリーの運転する車で、ビデオ撮影のアリスタと写真担当のマリレンとダンケンさんを追うことになっていました。
 ミーティングを終え水泳会場のミド湖に向かいました。ようやく朝日が昇ってきます。
 会場に着くとウエットスーツ姿の選手がたくさんいました。運よく友達に会えました。いい顔をしています。6:30、レースがスタート。私はジャケットを着ていても寒いのに、湖に入っていく選手を見ていてたら「がんばって。」と叫ぶのとは何か違うような気がして選手たちをじーっと見つめてしまいました。
 ようやく太陽の暖かみを感じてきたころ18度というアナウンスが入りました。そしてプロペラの音に空を見上げ「あ、アルビンだ!」なんと彼ら、ヘリコプターをチャーターしてたのです。
 7:14、一番の選手が戻ってきました。7:32、一番の女性の選手。その5分後ぐらいから選手が次々に戻ります。みな同じようなウエットスーツを着ていて友達を見つけることさえ大変なのに、初めてお会いするダンケンさんを探すのは本当に大変でした。でも私の役目は誰よりも早く彼を探し出さなくてはいけません。ご覧になっているご家族の反応なども見ながら探しました。7:44には片足をなくしている女性が戻りました。続いてダランが。ベッキーは8:00に戻ってきました。
 水から上がると“ウエットスーツ脱がせ隊”がいて、上半身を脱いだあと寝転んで2、3人が一組でウエットスーツを引っ張って脱がせてくれます。
 ダンケンさんが2.6マイル(3.8キロ)の水泳を終え着替えてきました。8:30。蛍光色ではない黄色の服が目立って、自転車レースの中では探しやすそうに思えました。 
 さあ、本格的に“スポッター”の役目が始まります。
 配られた資料には地図だけではなく写真入りで撮影場所が載っています。確認をしながら車を進めるとすぐにレースのコースは走れなくなっていました。初めてのポジション取りなので焦ります。一番の撮影場所にようやく着いたとき、果たしてダンケンさんはここを通過したのかまだなのか、彼の前後の選手が全くわからないので見当がつきませんでした。2番の撮影場所に行ったほうがいいかと話しているうちに黄色が見えました。
「ダンケーン!」
 急いで車に乗り込み次に向かいます。トランシーバーの準備もしたので今度は離れて位置を取り、合図ができます。そして私は覚えやすそうな選手を見つけながら、車で追い越した選手の数を数えていました。
 自転車は意外に速く、撮影位置の間隔が近いとすぐに追いつかれます。自分の前もあっという間に過ぎ、撮影場所にもすぐに到達してしまいます。ダンケンさんを確認する前に覚えた選手で確認し「スタンバイ。」の合図と「来た。」という合図を入れるようにしました。
 ダンケンさんは私を見ると「ノリコー!」と叫んでくださいました。私は自分を紹介する暇もなかったのに、彼が私の名前をご存知で嬉しくなりました。そしてそれが続きなんだか自分が励まされているようでした。
 役目にも慣れてくるとお腹もすき、朝に配られた食事セットを見てビックリ。手作りのサンドウィッチとご飯が入っていたのです。撮影隊15人分、サミとレスリは寝ないで用意してくれたのでしょう。ありがたくおいしくいただきました。
 自転車を始めてから2時間もするとダンケンさんの口から「疲れた。」という言葉が出るようになりました。言い方が少し冗談ぽくも聞こえました。でも、湖の周りの山道を2時間走ったことを考えればそれは冗談ではないことはわかります。“シルバーマン”という名前は普通の“鉄人”レースより過酷なのでその名が付いたともケリーが言います。車を伴走しながら励ましました。そんなときもカメラが回っていて、私だったら「しばらく静かにして欲しい。」といってしまいそうなのに、彼は面白く対応しています。そして何度も「あなたたちはすばらしい。」と声をかけてくださいました。
 ダンケンさんがスポッターをしている私に胃に関して何か言いました。それがわからず車に戻ってからみなに訊くと、きっとおなかがすいたのではないかということになり、ダンケンさんに伴走して車からパワーバーのようなものを差し出しました。すると彼は「君たちはそれをしてはいけないんだよ。」と。所々に設けられた休憩所以外で物を補給すること、人の手を借りることは禁止されているとのことでした。
 その休憩所には水、スポーツドリンク、バナナなどと、トイレが備えられています。そこには選手が事前に用意したものも置けるようになっていて、そこに入ってきた選手のゼッケンを見るとボランティアスタッフがすぐに同じ番号の袋を探して渡していました。中には特色を出しているところもあり、ハワイアンスタイルで曲や服装をまとめているところなどもありました。
 天気もよくポカポカしてきておまけに景色もよく気持ちがいい日です。ダンケンさんの人柄も手伝って楽しく時間を過ごしていました。ところが一番の選手が白バイの先導で反対車線を走ってきたときはそこだけ雰囲気が違っていました。そしてあっという間に過ぎ去っていきました。
「折り返し地点があるということはどこかでルックとベッキーに会えるんだよね。」
 社長のアルビンがヘリコプターの撮影から戻ってきました。ダンケンさんの様子を訊き、大丈夫だとは思うがと言いながら、どこかでカットされることがあるということをいいました。もしもカットされるようなことがあったら彼がどうなるかそのまま追いかけて欲しい。もちろん彼が嫌ならそれはしないでいい。そのあとはすぐにほかの選手について欲しいと言いました。少し緊張します。
 ベッキーの撮影隊に会いました。ということは、先を走っているはずのルックはいつの間にかわれわれの横を通過してしまったということか…応援できませんでした。ベッキーが通過して行きダンケンさんはこれから来る。どこかで親子がすれ違う…素敵です。 
 折り返し地点に着きました。ダンケンさんも折り返しました。彼の位置はどの辺なのか、スピードはどうなのか。ダンケンさんを見ている限りではすいすいと走っていてカットされることなど考えられません。ゼッケン109番の女性のあたりがカットされる目安という情報だけ入りました。前にいるのか後ろにいるのか…
 このあと30分ほど空白を置くということでした。今まで所々で撮影して応援してきたがしばらく選手を孤独にしたら表情にどう違いが出るのか、それをその次に撮影すると。
 山をどんどん登りながら次の撮影所に向かいます。お昼ごろのこの30分は本当に眠かったです。睡魔と闘いながらようやく目を開けていました。
 アリスタが撮影した場所に戻るごとにきょろきょろし始めました。トランシーバーをなくしてしまったと。そのうちに丘の上にダンケンさんの家族を見つけ止まりました。ケリーが車を降りて走って話に行くとやはりカットのことを話したそうで、いつカットがあるかわからなく心配になった私たちは戻ることにしました。
 選手をチェックしながら戻ると、ダンケンさんと同じ黄色のジャケットを着た選手が現れていました。私たちは「偽ダンケン」と名づけました。もう少し戻るとダンケンさんが走ってきました。車をUターンさせ彼に伴走すると彼は「何マイル?」と訊きました。スピードメーターを見て「30マイル。」と答えると、「だめだもう少し早く走らないと…」
 次の撮影場所に向かうとき、はじめの頃ダンケンさんの15人前を走っていた選手が2番前になっているのに気付きました。彼が遅れたのかダンケンさんが追い上げたのかそれはわかりませんでした。そしてトランシーバーも使えないので念入りに選手の順番を覚え直しました。
 初めにダランにこの仕事を頼まれたとき、選手が来たらバトンを回して撮影隊に合図をして、などと言われていました。その後アルビンからトランシーバーを用意することを聞いていましたが、私は念のためバトンを持ってきていました。「この辺でひとつ…」と私はひそかにそのバトンを取り出し、撮影隊の目に入らない所で回しました。ダンケンさんが喜んでくれたこと!「それこそ僕に必要なことだよ!!!」
 山から町へ入るあたりまで行きました。丘、谷、丘となるところでスポッターをしていました。そのあとは直線なのでかなり離れていても合図ができます。思ったよりも早く黄色い選手が登場。でも初めの黄色い選手は“偽ダンケン”です。すぐに本物が現れることはわかっていたのでスタンバイをしてもらうために合図を送りました。そして“偽ダンケン”が谷に入って見えないとき向こうの丘にダンケンさんの登場。一人目の黄色い選手が“偽”であることに間違いはありませんでした。そしてもう一度合図。“偽ダンケン”が丘を上がってきました。自転車の色が黄色で初めの選手は“偽”であることをもう一度確認しました。
 ところがその後いくら待ってもダンケンさんが現れないのです。合図を送ってしまった私は100メートルぐらい走って戻ってカメラを構えているアリスタに説明しました。そしてまたスポット位置に戻り、今度はもっと戻って谷底が見えるところまで走りました。するとなんと彼の自転車は道に倒れていてダンケンさんは脚をストレッチしているように見えました。トランシーバーはなく、電話は留守電になってしまうので私はまた走ってアリスタのところに行きそのことを告げました。そして車の横で待機しているケリーにも伝えに行くとダンケンさんのご家族がいらしていました。そしてそこを通過する選手からパンクをしている選手がいるということ聞いていることを知りました。「ダンケンさん脚を痛めたのではなくパンクしてしまったんだ…」
 そこにサンドバギーに乗った警察が現れました。「あと9分でコースを閉めます。」私はまた走ってアリスタにパンクのこととカットのことを伝えにいきました。そして少し離れているところで待機しているマリレンのところに走り同じことを伝えました。時計を見ながらドキドキしながらスポット位置に戻ろうと走っているとダンケンさんが現れました。「がんばれー!!!」
 あと2分のところで彼は無事にそこを通過し、その後来た選手はそこで止められていました。彼はぎりぎりで最後の通過選手となったのです。
 ここからは町中になります。一箇所、住宅街で車を降りて撮影を終えるとあたりは暗くなってきました。そして2,3車線ある道路に移動をした後は、できる限りで伴走し撮影するようになっていました。
 撮影隊は忙しくなります。伴走しながらレンズの向こうのダンケンさんを常に追っています。西へ向かうのぼり道、広い空に夕焼けがとてもきれいなのさえ私が言うまで気付いていませんでした。
 日も落ち真っ暗になった頃、電話が入りました。「あと10分で自転車選手はカットされる。」
 自転車コースの最終地点の公園にあとどのくらいで到着するのかわかりませんでした。ダンケンさんにはカットのことを知らせずにひたすらに応援を続けました。公園の標識が見えた後もそこからどれだけ距離があるのか誰にもわかりません。時間は確実に過ぎていきます。私は毎年お正月に観に行っていた箱根駅伝の伴走車に乗った監督を思い出し、声をかけ始めました。漕ぐ速さを見ながら「1,2,1,2…」と。
 車の時計をちらちら見、走る先を見、涙目になっていきました。さっきの電話から10分経っているのです。そして10分後ということから考えてカットの時間と思われる5時も過ぎていました。それでも「1,2,1,2…」と声をかけ続けました。涙声にならないように頑張りながら。
 公園の中に係員が誘導する光が見えてきました。「もう少し!!!がんばれー!!!」
 フィニッシュのゲートは空気を抜き始めたところでした。そこにゴール。8時間35分、112マイル(180.2キロ)を走りきりました。
 マラソンはもう走れないと思っていました。車の時計は5時をだいぶ過ぎていましたから。ところが大会側がカットの時間を延ばしてくれてダンケンさんはぎりぎり入ったというのです。ダンケンさんはまた最後の通過選手となりました。
 5:14、彼は着替えのテントから出てきてマラソンをスタートさせました。真っ暗で寒い中を走ります。マラソンの一番の撮影場所に行く途中サラを見つけました。2時間前にマラソンをスタートさせた彼女、2週目を走っているところでした。ゆっくりと走りながら声援に笑顔で応え、横を一緒に走りながら話しかけても元気な様子でした。
 一番の撮影場所ではお腹がすいたので車の外で立ちながらご飯を食べ、ダンケンさんを待っていました。まだ前を走る選手もわからず、また、暗すぎて双眼鏡を覗いても誰が誰だか見極められません。ダンケンさんらしき人が見え双眼鏡を覗くと服装が違います。そのまま追ってその人がダンケンさんと確認したときにはもうすぐそこに来ていてみなでご飯を投げ出すようにして追いかけました。彼はいつの間にか服を一枚重ねていて私は見極められず、危うく見逃すところでした。
 自転車に比べるとスピードが断然に遅いので、撮影場所に着いてからの待ち時間が長くなりました。そんなこともあり、そのうちに撮影チームA,B,Cに関係なくどの選手といわず撮影することになりました。
 マラソンは町中、“グリーンバレー”といわれる地区を中心に走ります。ラスベガス市の隣のヘンダーソン市になります。ここは名前の通り緑が多く、また大きな新しい家が多く、私が住んでいるあたりとは階級が違うようにさえに思われます。グリーンバレーカジノやザ・ディストリクトにはレストランやお店がおしゃれに並んでいて、木々にはクリスマスのときのようにライトがついていて、ストリップとは全く違ったところです。建物の中ではなく、町を歩きながらぶらぶらとお店を見られるという、普通の町なら普通のことかもしれませんが、ここラスベガスに住んでいるとそれがとても新鮮な感じでした。
 エレファントバーというレストランの横が撮影場所だったとき、選手が来るまでに一時間は掛かるだろうと、位置に付く前にトイレに行く時間がありました。私たちはトイレを借りにそのレストランに入り、店員さんは快く貸してくれました。この地域にふさわしいおしゃれなレストランでした。マリレンと私が先に行ってあとの二人がその後に来て大笑い。私はその直前にマリレンに借りたライトを頭につけ双眼鏡を首にぶら下げていました。その横にシルクドソレイユの大きなマークの付いたジャケットを着たマリレンが一眼レフカメラを持って“トイレ”に入っていったわけです。そのあと来た組も三脚を持ってビデオを持って…本当におかしかったです。
 一時間、そのレストランのテラスで選手を待つこともできましたがそうはぜず、ダンケンさんを探しに行きました。
 たぶんここだろうと行った先は、開拓中の地。土山の所々を工事用のライトで照らしていました。このまぶしい明るさにバトンが映えると思った私はバトンを持ち出し回しながら応援することにしました。自転車のダンケンさんの応援では、ひそかに一回だけバトンを使ったので、それを知らない撮影隊はビックリ。もちろん選手も喜んでくれました。
 3名の選手を応援し、エレファントバーに戻りました。そこで選手を待ちながら横浜の伊勢佐木町を思い出していました。ここはもっとおしゃれですが、お店と木々の並ぶ通りに懐かしさを覚えていました。
 日曜日の夜なのでレストラン以外のお店はすっかり閉まっていて、人通りも少なく、ゆっくりと走る選手がぽつぽつと通過するだけです。
 20:00、少し前にサラがゴールしたという連絡が入りました。そしてベッキーが私たちの前を通過し20:35ゴール。あとはダンケンさんを追うだけとなりました。
 ダンケンさんをエレファントバーの次の場所で撮影して移動していると、すぐに他の撮影隊に会いました。そこにはベッキーが毛布に包まって寝転がっていてました。ダンケンさんがすぐに来ることを告げるや否や彼は現れ、ベッキーはあとを追ってしばらく伴走していました。親子で…素敵です。
 折り返し地点に全員で向かい応援と撮影。セブンイレブン横に移動し彼を待ちます。もうこの頃にはダンケンさんも時間内に完走できるという確信が私たちにあったので安心していました。そして無事通過。
 再びエレファントバーに戻り、最後の撮影。ダンケンさんが来るのを見逃さないよう、今回は通りの向こうまで行ってダランと一緒に待ちました。ダランが湖を泳いだのははるか昔のことのようです。ダランは昨日二回目のショーをしないで帰ったので、早朝の水泳のために早く寝たのかと思っていたら、二回目のショーはお父様とショーを観ていたのであまり寝ていないと。恐ろしき体力の持ち主です。
 ダンケンさんが現れ、私たちはエレファントバーまで走りました。ダランは携帯電話を使いすぎて初めてのバッテリー切れ、私はアリスタがトランシーバーを無くして使えないから、いつもこうやって走って叫んで連絡をしていたと彼に言いました。「バトンは持ってきたの?」と言う彼に「何度か使った。」と言うと大喜び。そして、みなが待つ撮影場所に戻り全員で応援しながら、コース途中最後の撮影を終えました。
 さあ、あとはゴール。ゴールのある公園に向かいました。そして最後のスポッターの役目。ここではダランに携帯電話を使うように言われ、ダンケンさんの姿を見つけるとすぐにゴールで待つアルビンに連絡。私たちも走ってゴールに向かいました。
 23:15:54、水泳、自転車、フルマラソンを終えゴールのテープを切りました。16時間45分54秒。私は崇めるようにやさしく拍手を送りました。そしてなんともいえない充実感と安堵感と幸福感と…涙が溢れます。
 ダンケンさんと抱き合って喜び合いました。彼は疲れ切っているでしょうに、満面の笑顔で「あなたたちは本当に良くやってくれた。本当にありがとう。」と何度も何度もおっしゃっていました。そして私にはこっそりと「ショーの中で僕はあなたの踊るところが一番すきなんだ。だから今日はバトンを回してくれて本当に嬉しかったよ。」と教えてくださいました。
 機材などを車に積み込み、公園を離れたのは真夜中過ぎ。長い長い長い一日は想像をはるかに超えて素晴らしい、人生の中で確実に記憶に残る一日になりました。