のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

WAKE UP AND SMELL THE COFFEE

2007-01-21 | 日記
 中華街にある小さな劇場で“何か”があるので行ってみました。パンフレットを見ると出演者のほとんどがウインホテルのショー、Le Reveに出ているクラウン。みなさんショーをしながらこうやって違うこともするのは本当にすごいと思います。
 “何か”は一人ずつが次々に違う人物になっていろいろなことを語っているもので、残念ながら早い英語のせりふはほとんど聞き取れませんでしたが、出演者5人の演技力は充分に分かりました。
 アーティスト何人かに会い、帰りにみなでお茶屋さんに行きました。“O”のスイマー、かなこさん以外はブラジル人。二人で「日本語が話せるっていいね。」と話し続けていました。
 今日は希望通りゆっくり出来たので、明日からの6日間のショーに備えられました。

1人リハーサル

2007-01-20 | KA
 休み明けの恒例“1人リハーサル”が、珍しくお客さんを入れる本番の前日ではなく二日前の今日でした。いつもは誰にも何も訊かずに“なんとなく”行ってその時に当たります。今回は休み前、アーティスト抜きの通しに私がいつも登場するのを知っている人が「今回も来るの?」と訊いてくれたお蔭で、二日前に行われることも、時間がいつもより早いことも分かり“1人リハーサル”が出来ました。
 いつもは3時間ぐらい掛かります。予定も3時から6時となっていました。私もそのつもりでMGMに行きましたが、今日は順調にどんどん進んでいました。それでも充分にストレッチをして、バーレッスンをして、バトンをしてから舞台を使わせていただけました。
 “1人リハーサル”のときの後ろからのライトがいつもはピンクなのに今日はブルーでした。あれ、本番のときは何色なのか、そういえば気にしたことがなかった…
 本番前に一度も舞台に立たずに本番を迎えるアーティストたちはすごいと今日も思いつつ、いつもの“1人リハーサル”より緊張していない自分がいることにも気付きました。

寝ている間にラスベガス

2007-01-19 | 日記
 日本に帰ってからやろうと持ち帰ったものは、あまりにも忙しかったため、ほぼ出来ずにまたラスベガスに持ち帰ることになりました。一部出来たのは古谷野先生が手伝ってくださったお蔭です。
 寝不足になりながらもいろいろなことをし、いろいろな方に会いとても充実した滞在でした。まだまだやりたいことも会いたい人もいましたがそれは次の滞在の楽しみに取っておきます。
 時間節約に毎日のように駅まで送ってくれた父、布団を干して温かい布団を用意しながら真夜中の帰宅を待っていてくれた母、帰国を楽しみに待っていてくださった仲間、忙しい中会う時間をつくってくださった方々、ゆっくりした日本での滞在を願ってくださったみなさま、本当にありがとうございました。

 無事にラスベガスに戻ってまいりました。日本での寝不足を一気に解消するかのように飛行中はぐっすりと。昨日、身体の最終調整をしていただいたお蔭もあって良い睡眠が出来たのでしょう。もっと乗っていたいくらいでした。私がいない間、外のプールには氷が張り、雪も降ったというラスベガス。今日は友人いわく“うそのように”暖かな良いお天気でした。
 ラスベガスのこのアパートも2年以上住み、ほっとする場所になっています。

古谷野先生、生出演 Ⅳ !

2007-01-18 | 日記
 今日はのんのん日本滞在最後の日。船に乗って、中華街で食事をする予定でしたが・・・コンテンポラリー・サーカスのショーが行われている事を知り、予定変更した私達。ベイクオーターをぶらり一回り、おしゃれな“和”のお店にしばらくはまっていました。ここでのんのんはラスベガスに持ち帰るお土産を購入。その後、夕飯までのつなぎでハワイアンレストランで軽食。すいている時間だったので窓際の眺めの良い席に座る事が出来、リゾート地に遊びに来ているみたいだね・・・と優雅な気分になった私達でした。
 ベルギーのコンテンポラリー・サーカス「フェリア・ミュジカ」による“蝶のめまい”アーティスト7名、ミュージシャン4名、さほど大きくないシンプルなステージ、ダンスとサーカスがミックスされたショー。コンテンポラリーを見るときはいつもそうなのですが何を表現しているのだろうと考えながら観、終わった後もよくわからないと言うのが本音です。今回も後から解説を読み、なるほどね・・・と言う感じでしたが鍛えられた体と豊な表現力でのパフォーマンスは見事でした!カンパニーをつくりバトンのショーで世界を回りたいね!とまたまた夢を語った二人。いつかそんな夢が叶ってしまう日が来るかも・・・。今までもそんなことが・・・という夢が現実になってるから。のんのんが今KAの舞台に出ていることもその一つ・・・



 お土産も買えずに帰ることになるかと思っておりましたが、今日はその時間が少しだけありました。古谷野先生がブログも担当してくださって、荷造りも無事完了です。助かりました。 のんのん
 

プチ同窓会

2007-01-17 | 日記
 パスポートを受け取りました。待ち時間ほとんどなしで受け取れました。ICチップ入りのパスポートはそのページがカチカチなのですね。少し扱いにくい気がしました。

 ダンスの先生に昨夜の真夜中にお誘いいただき、2月に行われるある舞台のリハーサルを観に行きました。そして2005年末に行われたシルクの東京オーディションに受かったダンサーに会うことができました。DELIRIUMに出ていたよう子さんも彼女のお蔭でどうにか一緒に会うことができ、いろいろな話をしました。
 彼はラスベガスの新しいシルクのショーに来る予定だそうで、ラスベガスに日本人仲間が増えます。今回の帰国でシルクに新たに3人の日本人男性が増えることがわかりました。日本人男性頑張っていますね!

 もっともっと話していたかったのですが、“プチ同窓会”の予定が先に入っていたので急いで横浜に向かいました。幹事は遅れてはいけません。みなも仕事帰りに駆けつけてくれました。今回はみなの予定がほとんど合わずに参加者4名。電話参加1名。それでも私の帰国を機に、集まれる人が集まればいい、気楽な“プチ同窓会”が細く長く続いているのは嬉しいことです。
 私という人間の形成に高校生活は大きな影響があったと思っています。個性豊かな友達との出会いは宝です。夜景の見えるいい席で、素敵な友達と素敵な夜を過ごしました。ここでも話は尽きませんでしたが、時間はあっという間に過ぎ、みなさん明日も仕事なので再会を楽しみに別れました。

鮨処

2007-01-16 | 日記
 兄と飲みに行くことはきっと初めてです。といっても私は食べる専門ですが…兄夫婦に誘われてお鮨を食べに行きました。
 家族の新年会で何をしたいか訊かれたとき「手巻き寿司!」と言う答えは却下され、お寿司を食べはぐっていました。それがこんな形でこんな素敵な本物の鮨処で実現するとは夢のようでした。ねたを入れる木箱も、注文して焼いてもらったというお皿も趣があります。大将自ら仕入れに行くという食材はどれも見事に調味され、おすしは丁寧に握られていて、一皿一皿、一貫一貫本当においしくいただきました。お店の雰囲気はお客さんがつくると言う大将、それは大将の人柄が反映してのことでしょうから、やはり大将あってのこのお店です。
 「まだいけますか。」と訊かれ、兄は「こいつは大食いですから。」と。私は「止めてくれないといつまでも食べているので適当に止めてください。」とお願いしました。それでも5時間もそのお店にいて、ゆっくりとこのときを楽しませていただきました。
 二人の秘密の場所だということなので、場所は秘密にしておきます。たくさん頂いた上にお土産の太巻き付きですっかりご馳走になりました。本当にラスベガスに来て下さいね。そのときまでに私の秘密の場所を探しておきます。

2007-01-15 | 日記
 昨日の大会にアメリカから審査員を招いていて、今日はその方が講義をしてくださるというので私も参加させていただきました。開講の挨拶で協会B局副理事長の先生が私のことまで紹介してくださり、みなさまの温かさを今日も感じました。
 「やっぱり作品をつくるのは難しいですよね。いろいろ注意することは分かっても、結局は自分が創造しなくてはいけないのですから。料理をつくるのより大変かな…例えば五目ラーメンを作ったとしたら料理はそれで完成ですけど、それをバトンの作品と考えたらひとコマでしかないわけで、そこからどう違うものに、例えば五目焼きそばに変えていくかを考えていかないといけないことですよね…。」などと帰りがけに今日の講義を振り返りながら古谷野先生に話していたら「面白いこと言うわね。」と笑いながら真剣に変化のさせ方を一緒に考えてくれました。
 
 寝不足が続いていて、ふと目を覚ますと見慣れた景色は過ぎて行き…帰りの電車は寝過ごしてしまいました。今日も懐かしいことをしました。
 
 そこから折り返してやっと駅に着いたので、次の予定、“横浜のクラスに顔を出す”には行きたい時間には行けませんでした。それでも一番小さい子達のクラスの最後にはぎりぎり間に合い、初めて会う子ばかりでしたが様子を見ることが出来ました。二つ目のクラスには私が教えていた頃からの子達が少しいて、そのとき短い期間しか教えていなかったのに覚えていてくれて「体操して欲しい。」とリクエストまできて嬉しく思いました。三つ目のクラスは全員わかります。横浜のクラスを開いた当初からいる子はバトンを始めてからもう五年経つとのこと。月日が経つのは早いです。久しぶりにレッスンをして楽しみ、「ここまでできるようになりました。」と一生懸命にみせてくれる姿を頼もしく思いました。みなの成長を見て次の帰国が楽しみになり、私がまたここでレッスンが出来る日までいつまでも続けていてくれることを願いました。

武道館

2007-01-14 | 日記
 2時間半の睡眠、外は真っ暗。トライアスロンの大会の日を思い出させます。「今日も長い一日だろうな…。」

 今回の帰国を決定付けたのは今日のイベント“武道館”。新春、日本武道館で行われるバトンとマーチングバンドの全国大会は通称“武道館”と呼ばれます。たくさんの先生方、友達に会えるこの大会がうまく休暇と重なったこと、さらに所属先のバトン教室『TWIRLi』がこの大会に推薦されたことが分かり帰国を決めたわけです。
 当日の予定を何も知らずに「朝から付き合いますよ。」と元気にいいました。そして知った集合時間午前7時。今日は朝二番電車で集合場所に向かいました。みな髪をきれいにまとめて時間に集まっていました。
 付き添いは誰もいない中、朝一からハプニングがあったのにしっかり自分たちで対処して、感心。二ヶ所に分かれてしまった準備場所でも落ち着いてお化粧をし合い、私は手伝う余地もなく写真を撮っていました。
 体育館に移動後も限られた時間を有効に使い練習しています。先生からチームワークがいいと聞いてはいたものの本当に感心しました。私はただただみんなの行動を見ているだけでした。
 そこから武道館に移動をし、選手席でみなが出場の準備をしているのを待っていると「のんのん先生、踊らなくていいのですか。」と言われ、そのとき“KA”で私が踊っている曲をどこかのマーチングバンドの団体が演奏していることが分かりました。言われるまで気付かないほど私はぼーっとしていました。
 最終的に身体を動かせる部屋の前までみなと一緒に行くことができました。付いては来たものの、ここでも特に私が出来ることはなさそうなので、先日私が勝手に決めたテーマをみんなに伝えて、落ち着いて席に座って出番を待つことにしました。
 いよいよみなの本番です。私は先生に審査員席横の特等席を用意していただいていました。みなと同じ衣装を着たくまのぬいぐるみを持っているのが目立ってか、初めの縦一列のポーズで何人かは私のいる位置が分かったようです。
 演技は心地よい響きのいい演技でした。もしかしたらみなの中では“一番”ではないのかもしれませんが私にとっては一番のいい演技でした。終わってからのみなの顔もいい顔で帰国して本当に良かったと思いました。
 一度会場の外に出ると人に会い、人に会い、人に会い…なかなか席に戻れないのはある程度予想はしていました。それでも予想以上にたくさんの方に声をかけていただき励ましていただきました。やはり帰ってきて良かった。
 そして表彰。なんとTWIRL iはグランプリを受賞したのです。出来すぎた帰国…。
 打ち上げでみなの話を聞きながら、先生もお母様も合わせて、みなの力が合わさっての“チーム”での受賞であることを改めて感じました。そして3年前にどたばたと日本を出発した日がうそのように、私は何事も安心してラスベガスに帰れると思ったのでした。

家族の新年会

2007-01-13 | 日記
 横須賀線上りで横浜に着いたとき、京浜東北線が出て行きました。「うーん、これは…」東海道線上りの時刻表を見るとすぐに来ることがわかりました。「川崎までこれで行けば、今出て行った京浜東北線に乗り換えられるかも知れない。」乗り換えに便利な位置を思い出しながら東海道線に乗りました。そして、川崎でその電車を捕まえられました。「あー。こういうの久しぶり!」時間に追われて過ごしていた日本でよくしていた作業。懐かしく、嬉しく、そして日本に帰るとやはりこういうことになるのね、とニヤリとしたのでした。

 大井町線に乗れるとは思っていなかったので嬉しいな、と今日も違う電車に乗ることを楽しみながら親友の家に遊びに行きました。新築のその家は限られた土地に見事に立っていました。彼女と会うのは一年以上前のラスベガス以来、9月に生まれた赤ちゃんとの対面はもちろん初めてです。普段、頻繁に電話をするでもメールをするでもないのに、会うのも話すのも久しぶりという気はせず、気兼ねなく楽しい時間を過ごしました。
 
 時間はあっという間に過ぎ、家での家族の新年会のために急いで帰り、準備を手伝いました。メインはしゃぶしゃぶでしたので難しい準備はありませんが、10人が集まるとなるとやることはそれなりにあります。庭で取れたゆずでポン酢を作っているころみなが集まってきました。兄達やお姉さん達は変わりないのに、甥や姪は思った以上に大きくなっていました。
 家族の中にいると私は単なる3人兄弟末っ子の長女になれて心地いいのです。だしが足りないといわれれば台所に行き、しょうゆがないといわれれば二階に取りに行き、立ったり座ったりしながらも人一倍食べ、会話に疑問がわけばたいてい物知りの兄が答えてくれて…今回はなぜかフォアグラが家にあって「フォアグラとは何か。」という父の疑問への兄の答えから発展して、鴨は何か、雁は何か、グースはどっちでダックはどっちで、じゃあアヒルは?と最終的には辞書を持ち出して一つ一つ調べ楽しみました…ということで楽しくためになる(?)新年会でした。

小学生とお母様

2007-01-12 | 日記
 できたら日本にいる間に美容院に行きたいと思っていました。もしかしたら今日行けるかなと、約3年前の日本出発前に行った美容院をインターネットで調べてみました。その時にふと行きついたカット専門店、待ち時間が出ています。48分。そんなに待てないけれど、今から普通の美容院に行く時間もなさそうですし、とりあえず出かけるときに駅前なので寄ってみることにしました。
 お店に入ると画面があり、待ち人数0人、待ち時間0分と出ているではありませんか。これはカットしてもらいなさいということね。
 あまり髪型にこだわりがないので、微妙なことを日本語で言えることは大変に嬉しいことです。結果的に「お姉さんちょっとすき過ぎかしら。」と心の中で思ったものの、作業をひとつ終えられて嬉しく体育館に向かいました。
 そんなことをしていたので東京までの体育館には少し遅刻。二日後に本番を迎える選手達は黙々とストレッチをしているところでした。横浜で教えていた小学生4人も来ていました。ニコニコと嬉しそうに挨拶に来てくれて、4人の成長を感じました。
 私は彼女たちがバトンを習い始めたときから彼女たちのことを知っています。4人のうちの3人が東京でのお姉さんチームに入れてもらえることになり、1人はお姉さんに毎回ついて来て一人で練習していると聞いたときは本当にビックリし、頑張っていることをとても嬉しく思いました。と同時にお母様方も大変だろうな、頑張っていらっしゃるな、と思いました。
 私の母も行事や講習会があるたびに遠さを厭わずいろいろなところへ連れて行ってくれました。近所の小学校の体育館で練習するときは父や兄達に夕食を作ってから一緒に出かけてくれました。私が大人になり、ひとりでどこへでも行けるようになったころ、母の目もだいぶ悪くなり、暗い中では5センチずつしか進めないような本人の方が危ないと思われる状態になっても、近くのバス停までは迎えに来てくれていました。そんな母のことを思い出し、4人のお母様方のことを本当にありがたく思いました。
 体育館のすみを少し使わせていただいて、身体を動かしながら、みなの練習を見ていました。一人ずつがしっかり練習できるし、みなで合わせられるし、ミスもほとんどないし…自分が舞台に立つときに時々その日のテーマが浮かぶときがあります。“響き”。私は勝手にみんなの大会でのテーマを“響き”と決めました。お互いが響き合い、響きの良い和音が会場中に響きますように…