布ぶくろ製作の花生。
なぜ 布ぶくろなのか。
それは、上條さんが
5年以上癌と闘って
指先に力が入らなくなっても
「土に 触れていたい」
という思いから うまれた技法。
着ぐるみ製作に携わってきた上條さんだから
考え付いた 布ぶくろ。
大腸ガン、腹膜ガン、ふたつの癌を乗り越えても
新たに見つかった 肝臓ガン。
初秋、一度だけ 上條さんの弱音を聞いた。
「もしかしたら2月は無理かもしれない」と
その後、10月に せんだいメディアテークで開催された
「鳴展」(東北大OB美術展)に参加して
気持を取り戻し
DM用の作品を持って来てくれました。
11月末、制作風景のビデオを撮影しに、工房を訪れました。
楽しそうに 作陶しながら、布ぶくろ花生への想いを聞かせてくれました。
「ハンデを抱える人や、自分と同じ様に病と闘う人たちに、作ることの楽しさを味わってもらいたい。この技法ならば、少し練習すれば、誰でも 花器やオブジェなどが作れるはず。だから、なにも隠さずに、全部教えてあげたい」
2月10日(木) 会期一週間前、上條さんから電話が入りました。
「まいっちゃったよ。今、病院なんだ。入院しちゃってね」
「会場に行けないかもしれない」
翌朝、行田にある病院へ行った。
時間外なのに 面会させてくれた、病院の関係者に感謝。
病室のベットで 横になる上條さんは
黄疸がでていて、体を起こすことができない。
「まだね、作品を選んでないんだよ」
「どれを会場に出すか、決められてないんだ」
「それからね、最後の窯が 焼けてないんだよ」
「それが悔しくてね」
「誰かにお願いして、焼いてもらおうと思っているんだ」
5分だけと言われた面会時間は、あっという間に過ぎた。
2月14日(月)会期3日前、奥様から 電話が入りました。
「明日、2時間だけ 外出許可が出たので、作品を選びに帰ってくる」
翌朝、上條さんは 発熱。
外出許可は取り消された。
息子さんが 全ての作品を写真に撮って
病室で 搬入作品は決められた。
2月16日(水)搬入日。
息子さんとお手伝いの方 数名で、搬入。
作品の中に 黒い釉薬の 布ぶくろ花生があった。
「みんなで頑張って、最後の窯を焚きました」
2月17日(木)会期初日。
多くの皆さまが、上條さんに会いに来てくれましたが
やはり在廊は難しく、何度か病院から電話が入り
数名の方がお話しできただけでした。
2月18日(金)17:35分
このブログを書いている今、上條順次郎さんは
手術中
成功すれば、会期中に一度は 会場に来れるかもしれないそうです。
手術の成功を第一として、この会場に来れる事を祈り、
上條順次郎さんの笑顔に もう一度 会える事を願って。
あるぴいの銀花ギャラリー
阪 健志