陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

喪失という人生終盤

2009-11-18 06:04:16 | Weblog
歳を取るに従って、出来ていた事が出来なくなる。
周りから自分を支えていた事や人やポロリポロリと失ってゆく。
ついに身の周りや一人でできていた事にまで人の助けが居るようになる。
身内だけでなく他人の助けを借りないと日常生活が保てなくなってくる。

世話にだけなる自分で意欲的であれというのは酷。
ほとんどの人が充分生きたから死にたいと言われる。

仕事が終わってウチのヘルパーサ責たちはプールのエアロビクスのと体脂肪維持に余念がない。
そのタフさに脱帽して、仕事カス状態の私はごろんごろん。
コタツからぼっとTV画面を眺めてやがて涎を垂らしてうたた寝をする。
さびしいからうたた寝を叱る人もいない。共寝の猫が居るだけ。
昨夜、借りてきたDVD↓を観た。

眉山-びざん- (2枚組) [DVD]

東宝

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最後の最後まで自分らしさを貫いた意思の強い背筋の伸びた女を宮本信子が演じていた。
ガンで余命を知りながら、人としての尊厳を失わない姿に胸がすく思いがした。
阿波踊りの熱気と消えてゆく命の対比にほろり。

阿波踊りは川柳大会で徳島を訪れた時、アトラクションで見せてもらった連の名も出て、実際の熱気を想像した。

本日終了と、本格的に寝るつもりで、DVDを取りだすと、TVではNHKのプロフェッショナルが始まるところだった。
この夜は日常にあるバリアをあえて作った場所でのリハビリ、バリアアリーを提唱し、
デイサービス夢のみずうみ村を始めた作業療法士藤原茂氏。
この方はかつて発達障害児の感覚統合をされていた。

単に体の機能回復をされているというより、
失ったことによる喪失感を払拭する、心の回復を目指して居られるように見えた。

   心が動けば体が動く

たまたま仕事で日中、初回の訪問リハビリに立ち会った。
理学療法士さんがゆっくり筋肉をほぐしてから、まずはベットから立つ練習が始まった。
体を前に出して、足を開いて引いて、おじぎをするように…
ひとつひとつの動作がなぜ必要か丁寧な説明を受けながら、
当人は「できない。できない。」を連発。
あら不思議、理学療法士さんの誘導とほんの少しの力添えで立ちあがった。
筋力低下が著しいので、魔法のようにすっくとは行かないが、
自分で立てる光明が見えたとたん、ご本人の顔が輝いた。

 「よし、勝つぞ!」

麻痺で明瞭な言葉は出ないけれど確かに聞いた。
努力すれば自力で立てる、立つことから歩くこと。室内から家の外へと、希望が見えたのだ。
『勝つ』とは己自身にだろう。
体が動いて心が動いた。
どこまでの回復が見込めるかより、あれだけ腐りきっていた人の気持ちが弾んでいる。
私は心軽く、そのお宅を辞した。

理学療法士さん 作業療法士さん 資質はいろいろ。
良い人にヒットした。担当理学療法士さんに手を合わせたい気分だった。

いかなる状況でも気持ちの持ち方かと思う。
夫ひとり失って、失うことはこれからどんどん自分にやってくると思えるようになった。
失っても自分は死ぬまで生きる。
ポシャってもまた残された部分フル活用の方法を構築しながら生きる。

夫が死んだ時、自分の死んだ気がした。
失恋と世話しかなかった時間の喪失、失業をしたのだ。
相談する人を失った穴は大きかった。
やがて、人は再生する力を持っている。不思議。

体の機能も人的な関係もあれやこれや失いながら、最後の日までいく。
障害、病のあるもなしも最終的には誰も彼も喪失体験を繰り返して土に還るのだ。

*昨日のプロフェッショナルのスタッフブログを見つけた。
 素の藤原氏がよくわかる