余命告知は受けたくないというブログ記事を読んで、
亡夫の時の事を克明に思い出した。
昨今の流れは、医師より本人に病状説明という形ではっきり告知される。
実はこの告知は私の方へ先にあった。
医師から本人への告知をどうするかという打診があったのだ。
私は告知のお願いをした。
私であっても自分の事を自分だけが知らないことの方が辛く思えた。
いづれにしても自分の病院での処遇を見れば、ステージがどのあたりかは薄々知る。
「大安吉日の日を選びますか?」
なんと間の抜けた医師の質問であろうか?
その足で病室から夫を車いすで診察室へ運び入れた。
夫の後ろに立つ私は、医師の説明の間、夫の肩を抱いていた。
末期がんで治療の有効性の薄いことが告げられた。
余命について夫が尋ねたが、医師は個人差があり答えられないと言った。
夫は最後の望みに再度の放射線治療を望んだ。
体調をみてそれが約束されて診察室を出た。
夫は病室までの廊下で
「お前はいつこれを聞いたのか?」
と、尋ねた。
ちょっと前、ほんの前だと答えると
「良かった。ひとりで苦しませないで。」
六人の病室でのその夜。
家族付き添いは不要の完全看護だから私は家へ帰った。
病室でまんじりともせずに目を開けている夫が浮かんでしかたがなかった。
水筒にこっそりワインを入れて、ふたたび病室へ潜り込んだ。
それから間なしに、緩和ケア転院。
緩和ケアで体力の限界だと告げられるまで。望んだ放射線治療を数度受けた。
生きる望みを捨てない、前向きに生きた夫の最後の選択は尊重された。
緩和ケア医においても、余命は個人差があると告げられなかった。
死の2日前に
お別れが近いかもしれません
と私に告げられた。
夫はすでにその時、意識がなかった。
最近、余命はまわりに告げられるケースに遭遇した。
最後を家で迎えたい要望にケアマネは奔走する。
1週間と言われ家に戻られて、結局3ヶ月。
直接担当ではなかったが、電話連絡を漏れ聞くに
何かまだかまだかとスタップや家族から待たれている雰囲気を感じてしまった。
私は夫の余命について、末期がん告知と共に聞かなかったことが幸いだった。
最後の最後の瞬間まで尊い命の灯に寄り添えた気がして、
看病に対する自分への責めは少なかった方だと思う。
どういう関わり方をしたとしても
あの時ああしてあげれば、ああしなければと誰にも繰り事がわきだすのだ。
その時は、何度どう思っても2度と取り返しのつかない時間ではあるのだから。