陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

日常のカーブあたりに出る素面

2010-10-29 21:11:11 | Weblog
思わぬ出来事が起こるとその人となりが良く分かる。
同僚が自転車に車をぶつけた。
あるいは向こうから当ってきたのかもしれないが、前方不注意には違いなかった。
乗っていた人が高齢だったので、
救急車騒ぎにはなったが、打撲だけで自転車にも動かないほどの破損はなかった。

朝から事故をした当人が暗い。

回りがものすごく気を使わざるを得ない。
気の使い方もざまざまで、胸が悪くなるような同情型も居た。
悪いが職場は通常モードで流れる。
いい加減に頭を切り替えて欲しかった。
こういう淀み方は、また事故を呼びそうで不安にもなった。

日頃、ひょうきんで明るい半面、
仕事では妙に細かいのが多少、気になっていた。
大事故でもなし、免停になるでもなし、
そこまで落ち込んだり、悩んだりする事だろうか?
被害者の自転車をバンで運ぶと大騒ぎをしていたら、
当人が取りに来て乗って帰る元気さなのだ。
事故は時の運もある。ほんの瞬間のこと。
ハンドルを握っていればハッとするような事に誰も合っている。
事故にならなかったのは運が良かっただけだと誰も経験がある。
気は引き締めなければいけないが、起こってしまった事はどうしようもない。
真っ暗ケッケで人に気を使わせている事にも気が回らないでいる。
元気出してもらおうと自分の事故歴など披露し、道化をせねばならかった私の方まで腐る。

あの仕事上の細かさは、気の小ささから来るものだったのだと、納得。
そう苦労のない人生でここまで来たのかな?と余計な事まで思った。


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胃瘻の人

2010-10-29 06:16:12 | Weblog
去年までは自宅で
デイサービスには行きたくない、家が良いと言われていた。
ヘルパーは家族がノーだった。
家族介護が至れり尽くせり。他人の世話では痒いところに手が届かない。
入退院を繰り返し、帰って来られると私にお声がかかった。
1ヶ月も経たない内にまた入院。
最後は誤嚥性肺炎だった。
何度か出た胃瘻造設が本決まりとなり、
その後、医療的処置は終わったと告げられ、
今後の介護について家族内で意見が真っ二つに割れた。
病棟から家族の要請があったとケアマネの私が呼ばれた。
お帰りになってから事は私と相談で、決まらない事へ口出しはできない。

ついに医療療養型病院へ入所が決まった。
あれだけ好きだった家に帰れない。

ご家族がポツンと言われた。
「胃瘻にしたらもう歩けないの?」
出来たら最後まで看たかった人の言葉だ。
私の少ない経験では、しっかり歩いておられる方を知らない。
「さぁ?どうなんでしょう?」
と答えるのみ。
ご家族も、もう分からない状態になられた。
私の事などまったく記憶されてはいない。
栄養を胃に直に取り込んで、元気になってもらおうとした結果の今なのだ。

あの日から立つこともなく、
記憶もだんだん薄れ、家族すら判別出来なくなるのに時間はかからなかった。
毎日病院付き添いに通われたご家族にも疲労の色は濃かった。
移る病院は人里離れた所に位置する。
今度はたまに顔を見に行くとの話だった。
おそらく命尽きる日までお帰りはない。

食べられなくなったら、飲み込みが難しくなったら胃瘻の話が普通に出てくる。
現在国内で30万人(日本尊厳死協会パンフより)とも言われる。
家でごく自然に逝くという選択がなかなかむつかしい。

    草朽ちるように
    木朽ちるように
    土に還り
    風に浚われ
    痕跡もなきように
    
私の願望です。

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