今年頂いた年賀状から、私の心に引っ掛かったのを引っ張り出しました。
💑一枚目
私より2歳年上の慶応大卒の才女より
介護生活大変です。(ご主人の介護)
私自身も字が書けなくなりました。
また、おしゃべりしたいです。
この方は、本当に何事にもさえた方で、どんな場所でも、「Tさん、挨拶して頂けますか」と言われれば、すぐに二つ返事で、皆さんの前で、堂々たる態度で立派な挨拶をされます。
また、「Tさん最初に一曲歌って頂けますか」と頼まれれば、これまたすぐさま立派な喉を披露されます。
料理の腕もすごいです。
この方が、年賀状で少し弱音を吐いておられた。
💑二枚目
この方も、私より2歳年上の友達より
ご主人が亡くなられて、ご主人の弟さん夫婦に(弟さんのお嫁さんから)「お姉さんは、もう実家に帰るか、何処か安い家賃の所を探して、出て行って下さい」「この家は私たちが継ぎますから」と言われたそうで、お兄さんのお嫁さんは、とうとう、隣の市にある実家に帰られました。
帰られた実家は、もう誰も住んでおられませんが、家だけはまだ取り壊さないで残されていたので、そちらに帰られました。
大きな家に一人住まいとは、何とも寂しいことでしょう。心が痛みます。
💑三枚目
この方は、小学から高校までの同級生です。
高校を卒業して、地元のちくわ製造工場へ事務員として務め、その工場の跡継ぎの息子さんと結婚し、幸せな生活でしたが、一昨年ごろから、経営が下降線になったようで、昨年のお正月用にと、毎年ここで注文していたちくわを注文しようと、電話をかけようとしたのですが、今までかけていた電話が、何回かけても、「この電話は、「現在つかわれておりません」と言う。
104へかけて、聴いてみましたが、やはり同じことを言われました。
おかしいなと思って、ネットで調べてみると、なんと「倒産」の文字が目に入りました。
何ともやるせない気持ちになりました。
最後の104で聞いたとき、「他のちくわ屋さんの番号を教えましょうか」と言われましたが、私は、「あぁ、いいです」と言いました。
それで、去年と今年のお正月用につくるお節料理からちくわを使うメニューが消えました。
毎年、ちくわを適当な長さに切って、切り口の片方を斜め切りにして、そこに緑や他の色のものを細く切って詰め、それを門松に見立てた自己流のお節料理の一品にしていたのですが、昨年のお節料理からそのちくわの門松は無くなりました。
そのちくわ屋さんに嫁いだ同級生から、去年は、年賀状も来ませんでしたが、今年は年賀状を頂き、「いつもお買い上げ頂きありがとうございました。残念なことになりました」と書かれていました。
差し出された住所を見ると、西舞鶴の工場があった場所ではなく、東舞鶴の住宅街の住所になっていました。
あの広かった、工場と、本宅があった場所は、今どうなっているのかなぁと思いました。
💑一枚目
私より2歳年上の慶応大卒の才女より
介護生活大変です。(ご主人の介護)
私自身も字が書けなくなりました。
また、おしゃべりしたいです。
この方は、本当に何事にもさえた方で、どんな場所でも、「Tさん、挨拶して頂けますか」と言われれば、すぐに二つ返事で、皆さんの前で、堂々たる態度で立派な挨拶をされます。
また、「Tさん最初に一曲歌って頂けますか」と頼まれれば、これまたすぐさま立派な喉を披露されます。
料理の腕もすごいです。
この方が、年賀状で少し弱音を吐いておられた。
💑二枚目
この方も、私より2歳年上の友達より
ご主人が亡くなられて、ご主人の弟さん夫婦に(弟さんのお嫁さんから)「お姉さんは、もう実家に帰るか、何処か安い家賃の所を探して、出て行って下さい」「この家は私たちが継ぎますから」と言われたそうで、お兄さんのお嫁さんは、とうとう、隣の市にある実家に帰られました。
帰られた実家は、もう誰も住んでおられませんが、家だけはまだ取り壊さないで残されていたので、そちらに帰られました。
大きな家に一人住まいとは、何とも寂しいことでしょう。心が痛みます。
💑三枚目
この方は、小学から高校までの同級生です。
高校を卒業して、地元のちくわ製造工場へ事務員として務め、その工場の跡継ぎの息子さんと結婚し、幸せな生活でしたが、一昨年ごろから、経営が下降線になったようで、昨年のお正月用にと、毎年ここで注文していたちくわを注文しようと、電話をかけようとしたのですが、今までかけていた電話が、何回かけても、「この電話は、「現在つかわれておりません」と言う。
104へかけて、聴いてみましたが、やはり同じことを言われました。
おかしいなと思って、ネットで調べてみると、なんと「倒産」の文字が目に入りました。
何ともやるせない気持ちになりました。
最後の104で聞いたとき、「他のちくわ屋さんの番号を教えましょうか」と言われましたが、私は、「あぁ、いいです」と言いました。
それで、去年と今年のお正月用につくるお節料理からちくわを使うメニューが消えました。
毎年、ちくわを適当な長さに切って、切り口の片方を斜め切りにして、そこに緑や他の色のものを細く切って詰め、それを門松に見立てた自己流のお節料理の一品にしていたのですが、昨年のお節料理からそのちくわの門松は無くなりました。
そのちくわ屋さんに嫁いだ同級生から、去年は、年賀状も来ませんでしたが、今年は年賀状を頂き、「いつもお買い上げ頂きありがとうございました。残念なことになりました」と書かれていました。
差し出された住所を見ると、西舞鶴の工場があった場所ではなく、東舞鶴の住宅街の住所になっていました。
あの広かった、工場と、本宅があった場所は、今どうなっているのかなぁと思いました。
人生色々、変化の時がくるのですね。
読んでいて少し辛いです。
里の子さんはもっとも辛い体験をされて乗り越え今を生きていらっしゃる。私にも耐えられるのでしょうか・・・
そんな事を考えると不安になります。
自分の生き方、しっかり地に足をつけていかないとですね。
コメントありがとうございました。
生きているうちは、本当に色んな波が寄せては返しの繰り返しみたいですね。
どう頑張っても前に進まない時もあり、また、何だかいとも簡単に乗り越えられた波もあります。
もう焦らずに、その時、その時の状況を心身ともに受け入れ、その波に自然と乗って、その波が、自然にいいなみに変わっていくのを静かに待つことにしています。
あせって、波と戦い荒波に沈みこまれないようにとの思いです。