里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

年賀状・・・2

2012年01月07日 | 日々のつぶやき
昨年の12月に出した年賀状が、10通近く宛所に探し当りませんと言う事で返って来ました。

その殆んどが二男の名前で出した分です。

仕事柄、日本各地北から南へ転々と動く職業なので、独身者やあるいは既婚者でも子供さんの関係で、ご主人だけが全国各地の赴任先へ行っている人には、ちゃんと届いているようですが、新婚さんなどは一緒に住所を動いておられるようで、出した年賀状が、昨年の住所になっていて戻って来ます。

そして年が明けてから新住所で年賀状が届きますので、又こちらから出すと言う事になります。

返って来た年賀状には、郵便番号も市・町名まではあっているのに、返送されて来たのが2通ありました。 

多分年末年始の配達業務はアルバイトさんがあたっておられるので、すぐ近くでも解らなかったのかも知れません。

この同じ住所で、番地などの数字の部分だけが違っていて戻って来た2通のうち1通は、私が舞鶴の友達に宛てたものでした。

何故この人に宛てた年賀状が返って来たか気になって仕方がありませんでした。

数年前に嫁ぎ先のご両親を見送り、そして3年前にはご主人があっけなく急病で亡くなられ、結婚して別のところに住んでいた長男夫婦を迎え入れるため、一昨年家を建て替えられた。


この人の義理の弟さんから頂いた年賀状に、差出人の住所、名前、電話番号が書かれたスタンプが押されていましたので、この弟さんに昨夜電話で尋ねてみました。

すると、想像に反する事態になっていました。

弟さんが言われるには、

「家を建て替えて、長男夫婦と同居が始まったんやけど、世間で言う、嫁・姑のおり合いが悪く、姉さんが追い出されちゃったんや。でもまあ、気丈に元気にしとってです。(舞鶴弁)」

私は、もう立派に独立した4人おられる子供さんのうち、誰か一人のところへでも行かれたのかなと想像していました。

それで弟さんの話を聞いてビックリしました。

私は、「機会がありましたら、お姉さんによろしく言っておいて下さい」とお願いしました。


弟さんとの電話を切ってから30分ほどして、本人さんから電話を頂きました。

色々話して下さった内容は、とてもひどいものでした。

同居した時から、長男夫婦たちとは食事は別々、ここの孫二人とおばあちゃんが親しくすると、にらみを効かせて孫を引き離す、この長男の下に3人の娘さんがおられますが、上二人の娘さんたちは結婚されていて、たまにおばあちゃんに会いに帰ってこられても、居心地が悪く、すぐ帰って行くし、この娘さんたちの旦那様が迎えに来ても、家の中へ入りもせず、玄関先で挨拶だけして慌てたように娘たちを連れて帰ってしまわれるそうです。

一番下の娘さんは、未だ結婚されていませんが、帰って来られた時に、「家のカギを返せ」と言われたそうです。

お母さんが、「鍵は又作って貰えば済む事やないの」と長男に言われたそうですが、
「鍵ばっかりいっぱい作るのはいやや」と長男がつっぱなれたそうです。

娘さんも鍵を返し、「もうこんな家、来うへんわ」と帰って行かれたとの事。

もう色々いざこざがあって、娘たちが帰って来る家がないので、丁度同じ並びの4件先に空き家が出ましたから、その家を借りて一人で住む事にしましたと言うのが現状でした。


長男さんが弱すぎるのか、お嫁さんが強すぎるのか、優しい・いいお姑さんが気の毒に、長男家族に恵まれなかったなぁと、残念に思います。






年賀状

2012年01月06日 | 日々のつぶやき
届いた年賀状を見て思う事。

      

昨年こちらから年賀状を出す人たちみなさんに、下記住所に引っ越ししましたのでと言う事をお知らせしておきましたが、今日現在で37通が、旧住所で届いています。

手書きで書いて下さっている人たちは、昨年の年賀状を見て書いて下さっているようで、新しい住所で届いています。

しかし、パソコンに登録して下さっている人は、訂正して下さるのを忘れておられる人があり旧住所で届いております。

この調子では、またもう一年郵便局に転送届を出さなければならないかなぁと思案しております。

それとも旧住所で頂いた方には、寒中見舞いか、暑中見舞いを出して、再度住所変更をお願いすべきかとも思ったりしています。  

縁起言葉

2012年01月05日 | 日々のつぶやき
5日になり、仕事も始まり、お正月もほぼ終わりました。

おせち料理もほぼ片付きました。

わが家は毎年おせち料理は、黒豆が残ります。 

今年は残らないようにといつもの年の半分の量を作ったのですが、それでも残りました。

黒豆の縁起言葉は、今年もマメマメしく、黒く日焼けするまで「健康」で働けるようにとの祈りが込められています。

と書いてあります。

わが家の人間は、マメマメしく、黒く日焼けするまでと言うような働きはしない、怠け者が揃っていて、黒豆が残るのでしょうか?

ちなみに、一番早くなくなるおせちは、栗きんとんです。

栗きんとんの縁起言葉は、黄金色に輝く財宝にたとえて、今年も豊かな生活が送れますようにとの願いがこめられています。 

と書いてあります。

マメマメしく働くことなく、黄金色に輝く豊かな生活が送れますようにとは、何とずうずうしいわが家の人間でしょうか・・・?? 

ほほえましい光景

2012年01月04日 | 日々のつぶやき
昨日は、このマンションに住んでおられるおじいちゃん・おばあちゃんのところに帰省されていた人たちが、帰って行かれるのを見かけました。

おばあちゃんと若い夫婦が沢山の荷物を車に積み込んでおられました。

そのそばには、おじいちゃんがお孫さんを抱っこして荷物の積み込みを見ておられた。

おじいちゃんの話しかけに、お孫さんはにこにこしてご機嫌でした。 

いい光景だなぁと羨ましく見ていました。

おじいちゃん・おばあちゃんは、この後お孫さんたちが帰って行かれたら、心の中にぽっかりと穴があいたように寂しくなられるだろうなと思いました。

又帰って行かれた若い夫婦は、おじいちゃん・おばあちゃんのところへ来る前は、あと何日したらおじいちゃんたちのところへ行けると、楽しみだったと思いますが、何日か実家で過ごして、やっと自分たちの住む家に帰りついたら、狭くても、散らかっていても、あぁやっと帰って来た、やはりわが家が一番落ち着くなと感じられるのではと思いました。

私たちが、以前そうであったので、人の事も同じように思ってしまいました。

でも、何日か経つと、又実家に行きたくなるので不思議です。




2012年01月03日 | 日々のつぶやき
昨日も今日もかなり外は寒く、みぞれ交じりの雨が降ったりすると、舞鶴は又雪だろうなと、実家の雪景色を思い浮かべていました。

12月29日に舞鶴へ行って来ました。

朝の9時に家を出て、舞鶴目指して車を飛ばして行きました。

亀岡のあたりは濃い霧に走りにくかったです。

亀岡を過ぎたあたりから、走る道路には雪はありませんでしたが、道路わきや田畑、家の屋根、山には雪がありました。




綾部、舞鶴は、雪が多く残っていました。




立ち寄った西舞鶴駅






駅前の風景




買い物に行くところ




実家の近くの家

実家は、残念ながら、誰もいませんので、雪かきがしてなくて、車を入れる事が出来ませんでしたので、両隣の家に挨拶にだけ行き、そのまま帰って来ました。




実家近くの田畑は一面雪でした。




雪の中に赤い実を沢山つけた柿の木が印象的でした。


3時くらいで、道路に出ている気温は3度とか4度になっていましたので、5時までに舞鶴を脱出しないと、道路わきの雪から流れ出た水で道が凍ってしまうから早く帰ろうと慌てて帰って来ました。





新年おめでとうございます

2012年01月01日 | 日々のつぶやき
昨年は、東日本大震災、台風など、大きな災害があり、日本各地に大きな災害の爪痕が残りました。

家族を失い、住む家も仕事も失なわれた人たちの事を思うと、この人たちは、今どうされているでしょうかと気になります。

今年こそは、こんな大きな天災が起こりませんようにと祈る気持ちでいっぱいです。

そんな思いを込めて、ささやかな年賀状を送りたいと思います。

新しい年が、実り多い、輝く年になりますように!