気の向くままに

終着はいつ、どこでもいい 気の向くままに書き記す

女性作家二人

2014-11-01 12:00:32 | 日記

 

 

 今朝の中日新聞の一面、コラム欄「中日春秋」に・・・三浦綾子さんが77年の生涯を閉じたのは、15年前の秋のことだった・・・と書いてあるのを見て、えっ、と思った。4面を開いたら曽野綾子の投稿記事が載っているのを見て混同していたことに気付いた。

 三浦綾子については、著名な作家であったことくらいしか知らなかったが、曽野綾子については、旺盛な作家活動の傍ら、海外の貧しい地域の支援に取り組んでいること、新聞などで辛口の評論とか随筆のようなの投稿していることを知っている。

 「慈善と言う言葉自体、少し恥ずかしい。独善的な慈善家になるのも嫌です」「慈善事業と言われるのも好きになれないです。おそろいのTシャツをつくって活動するのも苦手です。自分たちの楽しみでしているみたいですからね、ある神父に『ボランティアは、楽しくなったらやめなさい』と言われて、それを守っています、」・・・と4面に書いてあった。

一面の「中日春秋」では、おととい90歳で逝った夫、光世さんのことも次のように書かれていた。

・愛妻の命の終わりを告げられた時、夫の光世さんは「では、また会うまで。さようなら」と語りかけたという。

・<妻の如く想うと吾を抱きくれし君よ君よ還りきよ天の国より> そんな歌を詠んでいた綾子さんを受け止めたのが、光世さんだった。

・綾子さんの自伝『道ありき』には、光世さんの求婚の言葉が書き留められている。「あなたが前川さんのことを忘れないことが大事なのです。綾子さん、前川さんに喜んでもらえるような二人になりましょうね」

・墓碑には二人の短歌が刻んであるそうだ。

 <着ぶくれて吾が前を行く姿だにしみじみ愛し吾が妻なれば>光世

 <病む吾の手を握りつつ眠る夫眠れる顔も優しと思ふ>綾子


 ほぼ同時代の女性クリスチャン作家の特徴を垣間見た気がした。

 

 

 

<memo>