気の向くままに

終着はいつ、どこでもいい 気の向くままに書き記す

白鵬、万感の涙  32度目V

2014-11-24 16:09:51 | 日記

  

 

 

 大相撲九州場所千秋楽の23日、唇を震わせた白鵬関のほおを涙が伝う。元横綱・大鵬に並ぶ32回目の優勝のインタビューで、母国でテレビ観戦する両親らへ「角界の父の偉大な記録に並んで、約束と恩返しができた。と伝えた」と答えていた。

 
 「(14年前に)62キロの小さな少年がここまで来られるとは誰も想像しなかったと思う」。23日に福岡国際センターであった大相撲九州場所千秋楽で歴代最多タイの32回目の幕内優勝を果たした横綱・白鵬関。思わず脳裏に浮かんだのは15歳の自身だった。

 横綱は、 父のムンフバトさん(73)はモンゴル相撲の元横綱で、1968年メキシコ五輪のレスリング銀メダリスト。白鵬関の著書「相撲よ!」によると、母のタミルさん(66)の家柄はチンギス・ハーンにたどり着くという。そんな両親で育った少年は大相撲に憧れて2000年に来日した。

 一緒に来た6人は部屋が決まったが、体が小さかった白鵬関は決まらず、モンゴルの先輩・旭鷲山関が根気強く親方衆に電話をかけ、現在の師匠である宮城野親方(元前頭・竹葉山)が引き取った。

 宮城野親方は「まさかここまで来るとは」と驚きながらも、人並み外れた努力をたたえる。若い頃、無理やり牛乳を5リットル飲み、どんぶりの大盛りを3杯食べ、吐いてもまた食べて体を大きくしようとした。

 先輩力士の存在も大きい。モンゴル出身力士「第1号」として今も幕内で相撲を取る40歳の旭天鵬関。1992年に初土俵を踏み、長年幕内で活躍を続け、モンゴル出身力士の先駆者だった。白鵬関の優勝に旭天鵬関は「常に負けられないと思ってやらなくてはいけないのは俺は耐えられない。気持ちが強い。まだいける」と新記録への期待を込める。

 来日して約15年。たゆまぬ努力でつかんだ32回の優勝。白鵬関は優勝スピーチでかみしめるように言った。「この国の魂と、相撲の神様が認めてくれたから」

(新聞各紙から抜粋、要約)

 

 

<memo>

・大相撲初場所は2015年1月11日開幕

・リンゴの収穫 「サンつがる」 とか 「サンふじ」 などの「サン」は 「燦々」のサンで、袋をかけずにつくったものだそうな。よって、消毒薬に10回ほど暴露されているとのこと。このリンゴ園(松尾幸二園)のリンゴは二重に袋掛けされたものであるとのこと。