-三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらい、けなげにすつくと立つていたあの月見草は、よかつた。富士には月見草がよく似合ふ…(太宰治『富嶽百景』)
これは有名な太宰治の短編の一節です。太宰は富士山を普遍の真理として例えた。その前では人間なんてなんとちっぽけなものなのだろう? 口さえひらけばCD(当番デスク)にニュースは? ニュースはあるんやろな? とほざく食用ガエルみたいなおっさん…ゴボゴホ。と違ってこの日の当番は冷静沈着の元虎番キャップ堀啓介ですからそのへんはテキトーに受け流すわけ。
この短編を読んで野村克也氏(現本紙評論家)はハッとする。富嶽百景のなかで主人公はバスで60歳ぐらいの母に似た老婆と隣り合う。バスの客がみんな富士山をながめて感嘆の声をあげているのに老婆はフフンといわんばかりに富士山に背をむけて窓の外…ハッとした顔で老婆はつぶやく。
「おや、月見草…」
見るとちっぽけな月見草が誰もみていないのにリンとして富士山にむかって咲いていた。太宰はそれを「富士には月見草がよく似合ふ(う)」と短いフレーズにこめた。
この言葉は野村克也氏が長嶋茂雄という存在に対してこうアレンジして使ってからガ然、一般に流布した。「長嶋は大陽にむかって咲くひまわり。俺は日本海の夜の浜辺に咲く月見草…」。
本人も認めているが多少のヒガミとシットも漂う。そしてノムさんのすごいところは「そのヒガミとシットこそが人間力の原点だ」といささか開き直ったところにある。
だからしびれるような能力と粘りを彼は発揮したのである。
2014.11.22 産経【虎のソナタ】より