気の向くままに

終着はいつ、どこでもいい 気の向くままに書き記す

先生が走る

2014-11-21 10:51:17 | 日記

 

 

中国文学者の高島俊男さんが、ある年の暮れに入院して、喫煙室でくつろいでいた時のことだ。「12月をなんで師走というか知ってるか」。物知り自慢の患者仲間が、講釈を始めた。「師というのは先生や。その先生が12月にはあっちこっち走り回る。せやから…」(『漢字語源の筋ちがい』文芸春秋)。

 ▼高島さんによると、この説はすでに平安時代の書物に見られる。お坊さんが、あちこちお経を上げるために東奔西走すると解釈して、「師馳(しはす)」と書いていた。ただ、1年のおしまいの月を「しはす」と呼ぶようになったのは、さらに何百年も前からで、本当の語源はよくわからないらしい。

 ▼安倍晋三首相は明日、衆院を解散する。同時に国会議員の先生方が、目の色を変えて走り始める。まさに「師走」の選挙戦は、年の暮れの慌ただしさに拍車をかけることになりそうだ。

 ▼国会議員を先生と呼ぶようになったのは、明治時代からだという。当時の議員の多くは、自由民権運動の指導者だった。新しい思想に飢えた弟子たちにとって、文字通りの先生だったわけだ。最近では、市民感覚から離れた「永田町言葉」にすぎなくなった。

 ▼故土井たか子氏は社会党の委員長時代、こう主張して、「撲滅運動」に乗り出したものだ。もっとも、支持は広がらなかったとみえて、いまだに廃れる兆しはない。官僚や記者たちも、議員の名前を忘れた時などに、重宝しているはずだ。

 ▼小欄も呼び方にはこだわらない。選挙戦では、アベノミクスの評価から、対中国、対韓国の外交政策や沖縄の基地問題まで、大いに論戦を繰り広げてもらいたい。その結果、「師」や「先生」と呼ぶにふさわしい見識の人物が、国会に集結するのを祈るばかりである。

 【産経抄】 11月20日

 

 

<memo> 昨日今日と穏やかな小春日和だ。