千曲川の流れのように

年金生活者の徒然

関心と無関心

2010-03-11 | Weblog
 例えば、交通事故にあったとする。事故の対象が見えなかったと加害者は言う。確かに見えなかったのだと思う。視界に入っていたが、関心が及ばなかったからだ。拙者もそんな事故を起こした事がる。熱があったが、必要な会議があり無理やり出かけた。反対車線に大きなトラック(普通のサイズではなかった)に気をとられ、前車に追突した。幸い怪我はなく、大事には至らなかった。
 日常何気なくしている仕事でも、関心が無いと見過ごしてしまうケースがある。その時は関心がそこに向いていない時だ。よくアンテナを高くと言うが、何か変だと感じる事が大切と言いたいのだと思う。でもね、なかなかそうならない。経験や知識が必要な場合や逆にそんな知識や経験が邪魔をする場合がある。
 関心の無いことは無関心だ。なぜ関心が無いのかが問われているのに、その事に気づかないから、厄介だ。関心が無いのはきっと繋がっていないからではないかと考えている。
 つづく。
コメント
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