山崎貴監督自身が執筆した、小説版『ゴジラ-1.0』完読いたしました。
なにかこう、ゴジラの”出自”に関する「背景情報」のようなものが記述されているかな、と思って読んでみましたが、結局
なかった、ですねえ…。
以前にも書きましたが、私はこの映画、一つの映画作品としては大変高く評価しています。でも、こと「怪獣映画」という側面からは、
不満がある。
ゴジラが「何故」そこにいるのかが、どうにもよくわからない。
大戸島に現れた”呉爾羅”。島の住民にはその存在が知られているらしい。しかしその呉爾羅が島にやって来るのは、平均どのくらいの間隔なのか。頻繁に上陸するのか、数十年、数百年、それこそ「伝説」となるくらいに長い間隔を置いているのか。
抑々こいつは恐竜の生き残りなのか?それともそれ以外の「なにか」なのか?
島に上陸してきたとき、やけに怒っていたように見えたけど、それは何故?何に怒っていたの?もしも縄張りを荒らされたと感じていたのなら
なぜ、島民が住んでいるの?全員殺されても仕方がないはずでしょ?
ああー、わからん!
そういうことがわからないからこそ、怖い、というのはあるかもしれないし、この作品はあくまで、神木くん演じる敷島青年の視点から描かれているのだから、敷島にわからないことは描く必要はないのかもしれない。
その点はわからないでもない。けどね。
「怪獣映画」というのは、登場怪獣についてのある程度の「背景情報」は示すものです。それが怪獣映画の”常道”です。断言しちゃう。
ああ、どうにもフラストレーションが溜まるうーっ。
のよねえ。
あとは、戦後まもなくの東京の描き方ね。映画には米兵が一人も登場しません。でも実際には米兵は東京の街中を歩いていたはずだし、その米兵に「しなだれかかる」ように寄り添い歩く、いわゆる「パンパン」もいたはず。
パンパンというのは、戦後まもなくのご時世の中で、なんの伝手も持たなかった女性たちが、食べていくために米兵の娼婦となった方々で、日本人はこの方たちを「パンパン」と呼んで蔑んだ。
こうした戦後日本の「黒歴史」は、この映画の中では綺麗に排除されています。パンパンはセリフには出てきますが、実際の姿としては一切描かれていない。
まあ、この映画にはいらない要素ということで「排除」したのでしょう。
でもどうせ小説を書くんだったら、そうした映画では敢えて排除した要素を書くというのも、ありだったんじゃないかなと思う。
ノベライズというのは、映画では敢えて描かなかったこと、描けなかったことを書くことで、その世界をより深く掘り下げる。そのために書かれるものだと、私なぞは勝手にそうおもっているのですが、この小説版にはそうした要素が
あまり無い。
唯一あるとすれば、それは
ゴジラの熱線の破壊力を、具体的に描写している部分でしょうね。
その点は、この方々も評価しているようです。
ゴジラの放つ熱線はあまりに凄まじすぎて、国会議事堂とその周辺の物質を一瞬にして気体に変えてしまう、つまり
「蒸発」させてしまうんですね。
それによって起きた爆発と、その爆発によって発生した爆風は、半径6キロ、直径12キロに亘って、建造物を破壊し尽くした、とのことです。
広島型原爆の破壊力は半径2キロだそうな。ゴジラの熱線は半径だけでいえば3倍ですが、その破壊エネルギーは計算すると27倍になるそうです。
広島型原爆の破壊力の27倍!
ゴジラの熱線、とんでもないね。
あとはラストシーン。浜辺美波ちゃん演じる典子さんの首筋にある痣。あれはやはり、最初からあそこにあったのではない。湧いて出てくるんです。
そう明記されています。だからあれは、やはり
ゴジラ細胞。
総体的に見て、ノベライズとしては中身がちょっと薄いかな、と思ってしまいましたが、興味がおありの方は、読んでみたらよろしいです。何か新たな発見があるかも
知れませんよ。
※国会議事堂から皇居までの距離はおよそ2.4キロだそうな。つまりゴジラの熱線は確実に皇居をも焼き尽くしたことになる。
もちろんGHQだってバカじゃない。ここで天皇に崩御されては困る。だから陛下におかれましてはいち早く御退去せられたに違いなく、ただ
またしても国民に多大なる犠牲が出てしまったことに、陛下はその御心を深く痛められたに違いない。
今度のゴジラは皇居だからといって、容赦してはくれないらしい。
それって、ゴジラとしてはどうなの?と、思ってしまうのだが…。
うーむ…。
でも、まっ、映画としては大変面白い。それは変わりない。
まだ御覧になっていない方には、是非とも鑑賞をおススメします。