なにを伝えていいのかわからない。という感覚、よくわかります。
ある人に言われたことがあります。私がなにげなく「震災」と口にしたとき、その人がいいました。
「どの震災?」
と。
「震災といったら【東日本大震災】以外ないだろ!」と声を荒げそうになりましたが、必死に押さえました。
その人に悪気がないのはわかっているんです。東日本大震災以前にも以降にも、日本国中沢山の災害があったし、震災と呼んでいい大地震もいくつもあった。だから、「震災」だけ言われてもわからない。
って、ことなんだろう。
確かにそうかもしれないが、でも
東北人である私が、今の時節に「震災」と言ったなら、それは東日本大震災以外あり得ないだろ?それくらい
わからんのか!
悪気がないのはわかる。だけど
「あの日」「あの時」「この場」にいなかった人にとっては、所詮
”他人事”なのだ。
いや、私だって人のことは言えない。25年前、阪神淡路大震災が発生したとき、大変なことが起こったと思ったし、被災者の方々には心からの同情を寄せた、つもりだし
幾許かの募金もした、ような気がする…。
でも、心のどこかで、遠い関西の地に起こったこと。
”他人事”。と
心のどこかに、そんな風な思いはあったのだよ。
私はいつだって自分中心だ。自分中心でしか世界を見れない、語れない。
そんな私に、一体何を伝えられるというのか。
ホント、わからないよ。
でもね、あの震災を直に経験した身としては
やはり「何か」を伝えていくべきなんだろう。
自分になにが語れるのか、伝えられるのか。
わからないけど、まあ
何某かのことを、語っていくしかないさ。
あの震災を「直」に経験したものとして。
いぎなり東北産『3000days』
この子たちだからこそ伝えられる、”震災”。