リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

シュプレヒコールは街宣か?

2017-06-27 | 政治
安保法制をめぐる国会での攻防が大詰めを迎えていたころ,都心にある職場で遠くからシュプレヒコールのようなものが聞こえてきた.OLたちの間で言葉にしないながらいやねぇのような空気が漂うのを見て「叫んでいる内容も聞かずにけむたがるのは愚かな…」と思いかけてはっとした.考えてみると,「叫んでいる内容」によって是非を決めるのは,言論の自由とは相いれない,検閲に通じる考え方だ.
以前,右翼の街宣車の騒音に悩まされていて,あれでも表現の自由として甘受しなければならないのかと悩んでいたのだが,弁護士ドットコムによれば,やはり街宣活動の内容そのものは規制できないものの,騒音規制法,迷惑防止条例,生活安全条例,環境保全条例,屋外広告物条例などで制限はあるという.また,車両備え付けのスピーカーで主張を流しながら走行するというスタイルについては道路交通法やそれに基づく都道府県の規則があるという.

翻ってデモのシュプレヒコールだが,これはデモの届け出をちゃんとしている限り,上記の規制にはひっかからないのだろう.だがそのようなスタイルのために無党派層などが敬遠してしまうという逆効果もあるかもしれない.冒頭のOLの「いやねぇ」のような反応は多くの人に共通する思いなのかもしれない.
デモ行進の意義を否定するようなことは言いたくはないが,今の世の中,デモは,少なくとも主張を広める手法としては効果的ではないと言わざるを得ない.安倍政権のどなただったか,デモの主張について,全国有権者の中でたかが数百人の声にすぎないと切り捨てた発言をしたことがあったように記憶している.批判に耳を傾けない政権の姿勢というコンテキスト全体でみると暴論なのだが,この発言だけに関しては,たしかに逆に公明党あたりに動員をかけさせれば安保法制や共謀罪法案賛成の立場からのデモを仕立て上げることだってできただろう.単純にデモの声を聴けばいいというものでもない.
効果が少ないからといって声を上げるのをやめるわけにもいかないが,デモには,メディアに報じられれば同じ思いをもつ人々を勇気づけるという以上の効果はないように思えてしまう.
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