リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

黒人差別問題での映画や銅像批判はどこまで進む?

2020-07-09 | 一般
「黒人の命だって大切」(Black Lives Matter、BLM)という標語が黒人暴行死事件をきっかけに脚光を浴び、アメリカの警官による黒人に対する数々のひどい仕打ちが明るみに出て批判されている。だがアメリカで映画「風と共に去りぬ」が一時配信停止になったのには驚いた。南北戦争前の南部を美化して描いており、登場する黒人奴隷たちが満足そうなのが問題だと指摘されたらしい。だが、黒人虐待を正当化する映画ではなく、黒人奴隷が満足そうに暮らしていることに「無批判」というだけで作品が問題視されるのはどうなのだろう。と思っていたら、実は、猿渡由紀氏によると、配信を停止したのは名指しで指摘のあったHBO Maxのみで、指摘した黒人脚本家ジョン・リドリー氏も作品自体には手を加えず、説明書きを付けて配信することを提案していた(東洋経済ONLINE)。結局、解説動画付きで配信が再開された(朝日新聞2020-6-26)。
そうはいったものの、実は昔、私も似たようなことは感じたことがある。戦前の中国を舞台にした1989年の日中合作ドラマ「その人の名を知らず」は、主人公の日本人医師と中国人女性の恋を描いていたように記憶している。日本軍の非道やそれを主人公が批判する場面はちゃんとあったものの、日本の中国進出の中での「善良な日本人」に焦点を当てているのに居心地の悪さを感じた。(今ネット検索してみると、あらすじは私の記憶と全く違った。私は一部のサブプロットだけを覚えていたようだ。ある口コミによると、私の感想とは逆に、国粋オタクには受け入れられない内容だという。大国となった今の中国の人が見たらどう思うのだろう。)

歴史上の偉人についても、このところ議論が再燃している。
コロンブスの銅像がミネソタ、バージニア、マサチューセッツで破壊された(CNN 2020-6-11)。8州と130都市ではすでに祝日「コロンブスの日」を「先住民の日」(Indigenous Peoples Day)に変更している(abc news 2019-10-15)。アメリカ大陸到達という偉業の一方で、先住民を虐げたことが議論を呼んでいたのだ。破壊行為は論外(「法と秩序」を叫んで差別主義者を鼓舞するような発言をするトランプ大統領を利するだけ!)だが、負の側面もある歴史上の人物の銅像はだめなのだろうか。
トランプ大統領は2017年にすでに、南北戦争中の南部連合のリー将軍の銅像撤去の話が持ち上がったとき、次はワシントンやジェファソンの像に矛先が向かうかもしれないと述べていた(BBC 2017-8-18)。トランプ大統領でなくても、負の側面のある偉人像をどう扱うべきか、線引きに悩んでいる(Newsweek 2020-6-11)。(ちなみに、天声人語2020-7-6はジェファソン像に対する破壊行為も起きていると書いているが、ちょっと検索した限りでは確認できなかった。まさかとは思うが、南部連合の大統領のジェファソン・デービスと間違えた?)
奴隷制を擁護して戦った南部連合の指導者の銅像までは退場は仕方がないかもしれない。そもそも銅像が建てられたのは、南北戦争が終わって数十年後、奴隷解放後に南部でさまざまな黒人差別法が施行される時期だったというから(BBC NEWS JAPAN)、設立の経緯が黒人差別と密接に関係している。だが、ワシントンやジェファソンはセーフというのが大方の了解ではないか。要は、偉人として顕彰されている事績そのものがが黒人差別を目的としたものであった場合はNGということになるのだろう。コロンブスの場合、先住民虐待もアメリカ到達の延長線上とみなされてNGということになるのだろうか。差別と言えば、女性差別も最近クローズアップされている。女性差別も問題にしたら多くの男性はNGになってしまうだろうが、業績そのものが女性差別でない、と考えればセーフになる場合が多いだろう。(有名人のセクハラが明るみに出て、業績とは無関係であるのに失職するケースがあるが、「セクハラ」という軽い言葉ではすまされない問題があった場合にはそれもやむをえない。)

海軍や海兵隊で南軍旗の使用が取りやめになるのはわかるが、その一方、南軍の将官の名前をつけた米軍基地についても名称変更を求める声が挙がっている。トランプ大統領は名称変更は検討もしないと断言している(jiji.com 2020-6-11)。基地の次は地名なども問題視されるのではないか。コロンビアは国名の変更を強いられるのだろうか。だが、何十年も定着している名前にまで目くじら立てなくてもと思う一方、自分が差別される側だったら、差別を助長した人の名前を付けた基地や町や通りがあったらどう思うだろう。名前までが問題になるは、やはり差別が厳として残っているからだと思う。差別がなくなれば、それこそ「名前くらい」は歴史的なものとして受け入れられるのではないか。


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