スピリチュアルな体験談

自分で体験した事を書いていきます。不思議な出来事など。
軽口だけれど自然に対しては敬虔な気持ちでいます。

怪しさとの葛藤

2006年07月02日 | スピリチュアル
スピリチュアルな体験と経験。
ほとんど周囲には言わずに来ました。だから 私のことを少し知っているくらいの
人達はきっと「怪しげな事を言い出した」と思うかもしれないな。。。
「何かに影響されたのか?」とか「宗教でも入ったの?」とか。
むしろ、私は他人の意見を押し付けられる事は大嫌い。
自分を信じてわが道を行くタイプなので、宗教的な集まりとは
正反対の位置に居ると思います。

「自ら体験し、感じる事。それを曇りの無い目でみて 身を任す。」
これがモットーです。

今の日本では、以前よりはスピリチュアルについて肯定的な雰囲気も
出てきていますが、まだまだ 否定的だったり、以前の”騙す”詐欺師的な
感覚に敏感になりすぎている風潮もあります。

私自身も、実践とひらめき、体験が重なって 初めて理解し始めましたし
誰かに教えてもらったとか、何かのセミナーに出たとかそんな事はなかったですし
道で「祈らせてください!」って言われれば 走って逃げるタイプ。

ただ一つ言える事。 今自分は結構幸せです。

自己満足かもしれない。でも、スピリチュアル的な考え、感覚で生きていると
「なんでも来い。なるようになる」って
良い意味で肩の力が抜けるんです。

なので、このブログを書き始めたのも
「こんな事書いて 怪しい奴だと思われるかも」って葛藤もありました。
でも、今書いているということは、書くべき時だったのだ。とも取れます。

ガイドによると、元々日本は精神的な国だったそうです。
スピリチュアルというと、海外がお手本みたいな感覚を受けますが、
日本にも元々しっかりと根付いていて、それが血となり肉となっているから
あからさまなスピリチュアル学の様な物が形姿なく伝えられていたのでしょう。

ガイドとの会話も、最初はたどたどしい物でした。
相手の意図する事も理解できなかったし、方法もわからなかった。
しかし、多分 初めて外国人と意思疎通できた人と同じような感じかも
しれないけれど、お互いのコミュニケーションが取れ始めてくると
複雑な事も教えてもらえるようになりました。 
受け手の私の方が言葉が足りなかったり、感性が足りなかったりしたからです。
人生経験を積み、感性、人の心が多少理解できるようになってから
潜在意識だったものが顕在意識へと移行し始めたのです。

なのであえて私は「通訳」と言う言葉を使うのです。

通訳者にもレベルがあるように、この通訳にも慣れと練習が必要です。
あと、如何に心をオープンにするか。体験を分かち合えるか。

なので、怪しいと思われるかもしれないという心配はありましたが
あえて ブログに書いています。

これも自らの勉強だから。






花の天気予報

2006年07月02日 | スピリチュアル
本で以前「花と会話する事ができる」と書いてあったので
試しで家に新しく来た花に話しかけてみました。
そうしたら
「あのね、今日はね。夜ね。アメになるよ。」
「明日はね。暑くなるよ」って言いました。
実際こういうたどたどしい感じで、話してくれて、
ガイドと会話する時のような流暢な感じではなかったです。
それも新しい発見。

会話の内容をすっかり忘れ、夜になった時 
外で雨の音がしてきました。

「本当だ。」

スピリチュアルなことって、閃きと実践の繰り返しです。

ひらめいた事を実践してみる。理由や理屈は考えない。
受け取るがまま・なすがまま・



美しい物 ストレス解消

2006年07月02日 | スピリチュアル
人は環境に左右されやすい生き物です。
それを逆手にとって、美しい物に囲まれて生きていけば
自分のものにすることができ、生きやすくなり、周囲の態度も変化し、
今以上にストレスを感じる事も少なくなります。

その時の流行はあるでしょうが、普遍の美しさもあります。
自然の美しさ。光の美しさ。人の美しさ。

美しい物に触れていると自分にもそのエネルギーが移ってきます。
美しい音、言葉もそうです。
最近は言葉が乱れているとよく言われますが、
美しくない言葉は相手も自分自身も蝕んでいきます。
芯から美しくない表面上の綺麗さは見抜かれます。

自然の中に美しさを見出す感性。
美しい物、自分の好きな物に、せめて自分の部屋だけでも改造して
居心地が良い場所を作る事も
普段のエネルギー補給に役立ちます。
もちろん、エネルギーを補給すると言う事は
古い いらないエネルギーも予め 捨てておく事が必要なので
浄化しておく事もお忘れなく。

あちらとこちら

2006年07月02日 | スピリチュアル
前回 カルマのお話をしましたが、
土地にある因縁もやはりあります。 ただ、どの土地に行っても
戦争や、争い、または家の中で亡くなった方などもいるので
むしろ因縁の無い場所の方が珍しいと思った方がいいと思います。

今までの経験として、自分のもつ因縁と、それに近いものが集まるように
感じます。なので他の因縁を呼び込むと言う事は多少自分にもその傾向や
それに似たような原因があるのだなと思います。
例えば、
自殺者が多い土地に行くと自分も自殺したくなる
これも類友の法則で、自分の中にその種があるから左右されてしまう。
その場の因縁に左右されないようにするにはどうすればいいか、


その場所を理解する気持ちになるということでしょうか。

此処には自分よりも先に住んでいた人達が居て、当時には自分と同じように生きて
生活をしていたので、後から来た新参者に対して、あちらのルールに従わないと
よくない感情を持つ人もいるわけです。
(これも波長が違えばほとんどあちらの目に付く事はないでしょうが)

新しい場所に移るとき。「これから宜しくお願いしますね。私も私の生活がありますから、お互いに干渉しないでやっていきましょう」って。
”あなた方のことはわかっていますよ!”って先に理解をしめすのです。

生きているご近所さんと同じです。




カルマ;因縁 解消法

2006年07月02日 | スピリチュアル
アメリカ大陸の先住民、俗に言うインディアンの人達のことを現在は
ファーストネーション(FN)と言うそうです。
去年の暮れ、時を前後して カナダのFN支援の仕事をしている人と出会いました

それまではFNの事も文化的背景も全く知らなかった私ですが
(今でもよくわかっていません、、)
自分の見たビジョン、意味などを彼に伝えると、FNの間での儀式だったり
何かの方法だったりすることを教えてくれます。
そこで初めて意味がはっきりするのです。

彼も前世で一緒にアカデミーに居た事がある人で、
彼はアストロジスト、私はアーケミストでした。

やはり前世のつながりがある人とは早く打ち解ける事ができるし、
初対面から何か感じる物があります。
大学でも6年間一緒にクラスメートとしていたとしても
話もしたことも無い人もいれば、卒後の研修医で出会い、
ずっと友達になる子もいるので、
前世からの馴染みというかそういう感情は残るんだなと感じます。

前世からの繋がりということで、別に恋愛関係だけにとどまらず、
家族も縁があるし、逆にどうしても仲良くなれないと言う人とも
前世での深いつながりがある場合が多々あります。

その関係から起こる事を怖い言い方で言うと 因縁とか カルマとか言うんでしょうね。

でも、簡単に考えると、全て原因と結果の繰り返しです。

と言う事は、カルマ解除や、因縁除去といった事は
高いお金を出して霊能者に頼んでお願いすると言う事ではないと思いますし
自分で蒔いた種を自分で刈り取るという事が基本。
自分でもできるんだという強い意志です。

エセ霊能者がここぞとばかりに弱みに付け込み、
何故そういうことが起こったのか理由も判らず(見えないから)
形ばかりで儀式のような事を執り行と、逆に変な因縁も作り出してしまう事さえ
あります。 その方がとても厄介です。

変な因縁とは、自分の心にある弱い部分を他人に任せて何とかしてもらおうという
他力本願の思いが自らを再び縛り付けてしまうと言う事です。
他力本願の種を蒔けば、他力本願で生きていく人生が実ってしまいます。
簡単な図式です。

ガイドも、「自らを助ける物を助ける」と 
少し突き放したような(思いやりのあることだと思います)スタンスを
取っていますから、自分で自分をしっかりと自立させる人には
いくらでも助けが来ますが、ガイドは他人に頼ろうとばかりすると本人が育たないということをとても良く理解していて 突き放します。


超簡単な解消方法は

嫌な事があっても気にしない。 他人のせいにしすぎない。
クヨクヨ悩まない。 前向きに生きる。 人とのご縁を大切にする。
出会った人達を一期一会の気持ちで大切に扱う。 


本当に自分ではどうしようもできないくらい大きな問題だと感じた時

目の前のできる事、小さい事からこつこつと解消していく(身の回りの整理)
人知を超えた事は、理由を心に問い、過去での出来事からのものだとしたら
「これは過去の事で、今の自分とは違う。今の自分は生まれ変わった!」
と ハッキリ宣言する事。


大体こんな感じです。ベーシックですが強力ですよ。