スピリチュアルな体験談

自分で体験した事を書いていきます。不思議な出来事など。
軽口だけれど自然に対しては敬虔な気持ちでいます。

多次元の層

2008年07月24日 | スピリチュアル
実験です。

目をつぶって、想像してみてください。
目の前に輝く水晶で 出来た お城があります。
ことこまかに自分なりに見えるお城をイメージしてください。。。。


はい。 何をしていたかと言うと、
イメージの中で お城の前に立てたなら、もうその時点で異次元にいるということです。
肉体はこの3次元の世界にいるとしても 想像の中、イメージ、
心の心象の中では 別の場所に移動していたと言うことです。

ここら辺の話は ちょっとイメージしづらいかもしれませんが、
瞬間移動のテクニックとしても使います。
また、同時間に存在する別次元へのアクセスにも使います。
そのほかにも、別次元の存在にアクセスしたり、
目の前の言葉を発しないと”思われる”者たちとの会話にもつかうし、

イメージ=妄想 でなくなる訓練を積み重ねて、精度が上がると
不可思議な事を起こすことができるようになります。
本当は 自然の摂理道理なんですけどね。♪


人間は自分の今、肉眼で見えている世界のみを現実とし、
見えない世界は「無いもの」としての認識にしたがります。
しかし、目にみえなくても 空気と言う存在は常識ですし、
匂いもあります。 5感で感じ取れないもの=無いものではないと
心で理解できるところから 話が始まります。

よく、怖い話なんかで、お化けが出やすいとか
心霊スポットとかやっていますが、
そういうところは 次元が重なって 見えやすかったり
する場所だったりします。

いつも妖精さんたちは存在するのですが、
肉眼で見えなかったり、認識できなかったりするので
居ないという扱いになってしまうのです。。。。

逆に、人間とのおつきあいを 止めますってしてしまった存在たちもいるわけで、
そういうもの達の次元と私達の次元が微妙に違うだけ。

よく、古代の○○発見!とか、いまさらになって出てきたりする時、
「あ、次元が重なって 姿が現れたな」と思う時があります。

霊能者とか、見える人って、
この多次元の重なる世界を どの視点でも見ることが出来る人達だとおもわれます。
意識が多次元にわたって 見ることが出来るというか。

3Dマジカルアイの 訓練をするとその視力が上がるという説もありますね。



わけわからない話かも。

困ること

2008年07月24日 | スピリチュアル
スピリチュアルの相談でも、歯の治療でも 少し困ってしまう時は、

「先生のいいようにやってください(良い方はどちら?)」って言われるとき。

歯の治療はそれでもある程度の範囲内で、出来うることを相談しながら進めるの
ですが、いいようにやろうとも、
基本の基本まず3度3度は必ず磨いてくださいねって言っても
心して必ずきっちりと実行してくれる人は少ないです。

スピリチュアルの相談では、「どちらがいいでしょうか?」って聞かれると

正直 どちらでも。としか。。。。

まずは、「決める、実行するのは自分である」と強く認識してほしいです。
こちらが24時間つきっきりで行動を制御できるわけでもないですし、
相談者の方はこちらの操り人形ではないので、

自分が自分にお約束できる答えを選ぶ   ってことが一番大事かな。

改善するために何かを継続して出来るか、努力できる方法を選択する。

改善するための指針は見立てで取れるかもしれないですが、
行動を起こし、実行し、継続し、舵を取るのは 自分であると強くオモって欲しいです。








常に幸せじゃないといけないの?

2008年07月24日 | スピリチュアル
こう書くとみもふたもないですが、

☆いつも”ハッピーです♪”じゃないといけないの??って
ふと思いました。

スピリチュアル系のHPやブログを見させてもらうと、
なんだか 幸せにならないとダメじゃん! 的な なんともはて
薄らっぽい感じを受けてしまうのは ダメダメなのかな

私の感じるうれしい幸せは、(Mなのかしら;;;)
辛い事があったあとや、辛い出来事の中で 見つけた小さい幸せ。かな。

もちろん、手放しに幸せだな~~と感じるのが1番なのですけれど。
花に水やりをしている時に虹がでるとうれしいとか、
犬がお腹むき出しにしてひっくり返って甘えてくれるのがうれしいとか、
夜の匂いが良い匂いだった時に うれしいとか。

でも、 ガッツリ人間力レベルアップ の時の 充実感
乗り越えた時の幸せ感、達成感って、これらの比でないくらいに
とっても幸せで、感謝感激!と感じてしまいます。

どういうときかって、、、 殆ど 苦しい時に道を踏み外さなかった時とか
自分がひどく悲しい時にも他人に対して気遣いが出来た時とか
ダレも見てない、誰も評価しない、誰も気づかないけど。
(見てる人は必ずいる)
自己満足の世界なのかな。

手を抜こうとすれば いくらでも出来る時。
ちょっとズルしてしまいそうな時。
他人を押しやり、自分だけなんとか良い思いができそうな時。。。
悪魔のささやきを、 なんとか 気力で押しやった時。
 
自分も大変だけど、もっと大変そうな人に優しく出来た時とか、、

四季がある、厳しい冬や、熱い夏があって、秋の風や春の日差しが有難く
思えるように、
常に常に辛さや悲しさ、苦しさから逃げるように幸せを追い求めるのは
本末転倒と 思えてしまうのです。

スピリチュアル系の人々の  ”癒し”という言葉に
薄ら寒さを感じてしまうのは、  やさしいやさしいだけでは
本当に人間の本質や、 物事の本質を見ることが出来づらいのではないかと。

かけっこで、ビリになる子が可哀想だから 手をつないで一緒にゴール。
↑ どこら辺が可哀想なの??可哀想と思う人が可哀想な人を作るんじゃないの?

ビリになりたくないから走る練習をしたり、
ビリになった悲しい恥ずかしい気持ちがわかったから他人にも気遣えるようになるとか、 トップになった子は逆に他ができなくても俺にはこれがあると
一つの心の支えができるとか。

そういうことで、乗り越える力や、自分より助けが必要な人に手を貸せるとか
小さい事にもありがとうと思えるとか、が 出来るんじゃないのかなと。

苦しい時はもちろん周囲に助けを求めてもいいと思うし
ヒーリングなどを利用するのもよいと思いますが、

「苦しさから逃げるための物ではない」のだということ。

乗り越えるための 心のありよう、道具として使うくらいの気持ち。