スピリチュアルな体験談

自分で体験した事を書いていきます。不思議な出来事など。
軽口だけれど自然に対しては敬虔な気持ちでいます。

怪作 フリークス

2016年08月29日 | 引き寄せの法則


24時間tv とバリバラを考える。


高校2年から大学1年まで

映画好きが高じて 裏でビデオ(当時DVDではなくビデオw)を見放題ということで

アルバイトを時給600円位でしていた時。

タイトルと主演俳優くらいは頭に入り、ストーリーも裏書程度には覚えて

返却されたビデオを元の位置へ戻すという仕事を先輩とスピード競争でしていました。

(その時の映画の知識が 鑑定や解釈でとても役に立っています。)


ショウチャン先輩がまた、早く、ほとんど勝てない。それこそ 怪物。 

私が負けると AVコーナーへピンクの札を返却しにいく罰ゲーム。

女子高生が暖簾の向こうへ入るものだから、 男性陣が ザーーーーっと出ていきました(^^::)

こちらは仕事ですから 淡々としたものです。


そのスーパー先輩ショウチャン が 後に「J.これ見た事あるか?」と

教えてくれた映画 フリークス。


当時はセンセーショナルだったらしく、日本で上演されたのかされなかったのか。。。


ホンモノの障碍者の方々が出て来て演技をするのですが

見ている途中から 「健常者の欲の方が怖いわ。。。」と思ってしまう映画です。

むしろ 見世物小屋の人たちの 愛らしさや、笑顔や演技力 に見入ってしまうのです。



色々と問題アリと判断され 30年間上映禁止になった怪作。(それもどうかなと思う。)


ストーリーとしては単純だけれど、一生のうちで一度観てみてもいいかもしれない映画です。

それぞれの得意技を ご披露していて 凄い!と思います。

そして 外見の美しさと内面の汚さを持ち合わせた 女性の欲ぶかさと怖さ。 

色々と考えさせられます。が 普通に見て差し支えない映画だと思います。

停滞している運気を変化させたいとき。 

2016年08月29日 | 引き寄せの法則
これも 私が実践している方法です。

なんとなく最近調子が悪い。と思ったり

タイミングがずれていて、良い方向へ行かないなあと感じている時。


いつもは通らない道を通ったり、行かない場所へ行ってみたり

小さい事でいえば 家から一歩踏み出す時の足を

意識して違和感のある方(無意識に踏み出す足は決まっているようなので)を出して

歩いてみる。


そうすると 無意識に行動していたことが  いつもとは違うという慣れない状態になり

自覚して行動するようになるので

気づく事、少々の緊張感が走りますから  感覚が少し変わります。


すると なんとなく 変化したな。とすぐに感じますので 


もし停滞している。 ルーチンで頭を使わずに行動しているな。と思ったら

(ルーチンでも上手く行っていれば問題ないです。少しずれているなと感じたら)


普段やらない事をやってみる。 と 刺激になり また変化し始めます。







運がよくなるコツ。その。。。えっと 2?3?

2016年08月29日 | スピリチュアル
何度も、自分は運が良い!と口にも出しますし

こちらへも書いています。 ただの脳内お花畑なのですが


もう一つ。 コツとして 実践していたなと思うのが


どうしても解決できなかったり、困ったとき アチラへ


「助けてください」  ではなく


「どうしたら良いか、教えてください」 と 投げかけるのです。


これは とても自動的というか、合理的というか 融通が利かない(失敬)というか


入力の方法、検索方法が違うと 答えもそれなりになってしまうか ストップするのです。

よくPCに例えますが


「助けてください」 と検索かけても 自分の目的とするヘルプへたどり着くのは的を得ないでしょう。

今困っている事+どうしたらいい? と検索をかけると それなりの答えが出てくる。


単純ですが、 本当にこんな感じなのです。


ただ 助けてくださいだけだと。 「何を?」になってしまいます。

やり取りの出来る人間なら 相談された側が 慮って 色々と質問して願いの内容を把握しようと努めますが


アチラは答えたとしても 受け取り側が理解できない(通じない)ので 没やり取りになってしまいます。

受け答えができないから、何もしてくれない。という状況(本当はアチラも協力してくれているのですが。。。)に陥ります。


私みたいな変人は アチラからのジェスチャー等を交えての交流から 〇〇らしいな・・・とか

こういう風にしてみると 良いのかな?的なものを 受け取るので 

信じて行動を起こすと ミラクルが起こります。


時々、夢で数字が出て来て ロトを買ったら大当たり! という人がいらっしゃいます。


素直に数字をロトで買う。と 情報を受け取って、行動を起こした結果を受け取るというシステムで動いています。


問い方は   助けてください!の他力本願ではなく、、自分がどう動いたら良いのか教えてください! です。

すると 精度が上がっていきます。


あくまでも自分の行動もありきです。



















ボランティアに関しても。。。

2016年08月29日 | インチョの酒
24時間TVの話にからみ。。。

ボランティアの定義にも疑問を持っています。

過去、タイの津波後の歯科ボランティアへ行きましたが、

その時に「外国でボランティアするより、身近な患者さんたちへもっと奉仕しよう」と思いました。

海外で歯科治療するには日本のライセンスが使えないところもあるので

ボランティア時、先生方がタイの政府と協議して一週間 リーガルなライセンスとして許可を得て

活動ができるというところへ面白そうだなと思い、参加しました。

無料で何かしたら、された方は 「ありがとう!」と可愛い笑顔を振りまいてくれるでしょう。

そして した側も 自己満足で帰途に着けると思います。。。


そこへ ちょっとまって。。。と思うのです。

まず 継続して行動、活動が自立的にできるものなのか。

誰かの援助(このときは歯科医師が医院を休み、参加費用として結構な金額を支払いました。。休むだけでも持ち出しです)

と善意の活動ありきなのか。


現地の産業をつぶしてしまう事はあり得ないのか?(現地にも歯科医院があるでしょうから無料であれば

ボランティアの方に皆来ますけれど 現地の歯科医院への影響は?)

アフリカへ物資を送ろう! というものも。。。巡り巡っては 

現地の食品産業を潰しかねないですし(無料で配られたら太刀打ちできない)

無料でくれるなら 頑張らないでいいじゃんね~~と なってしまわないのか。

ユニクロがリサイクルの服を送るという活動も

現地の産業を潰してしまっているのではないかと 危惧するのです。


ボランティアや 援助は 現地の人たちのインフラを整えて

彼らが自分たちで維持運営できるようなものでないと

結局は 貧困などを助長しているだけなのではないかと 思ってしまうのです。



中学生の時に 備蓄の消費期限が近い カンパンをアフリカへ送ろうと言われたことがあります。

反対の人手を挙げて~!と言われたときに 私は手をあげました。


皆の ドヨドヨとした空気を忘れられません。。。


絶対に良い事しているんだから 反対する人なんていないんでしょ?という空気でしたから。


「焼け石に水になるよりも、自分たちでどのようなものなのか消費した方が良いと思う」と。

恐らく 本意は理解されなかったと思います。

私も子供なので表現がうまく出来なかったですし。


いらないから あげる。 って  どうなんだろう。。。と思ったのです。


もちろんそれで命が助かるかもしれません。 一時的には。


継続できないシステムにはいつかどこかで負担が来ますし

自立できる方向へ行かなければ 善意のボランティアの中からも疑問の声が上がってくると思います。


今は負担しきれて、支えることができてもそれが永続的な状態でなければ

いつか破たんします。


そのような事から考えると  ちゃんとインフラや産業として成り立つ事へのお手伝いは

良いと思うのですが、 ものを(不用品)あげる。って

実は とっても 甘い砂糖の毒なのではないかと思うのであります。


















24時間テレビは 好きじゃない。

2016年08月29日 | インチョの酒
寄付金がギャラになっているという都市伝説も なんだかなと思いますし。。。


障碍を持っている人を不幸に仕立て上げるあの構成が嫌だ。

障碍をもっても頑張っている人は心が清くて皆が涙してみなければいけない存在なの?と思うと

ある意味。。。見世物小屋のような感覚になってしまう。。。(言い方は悪いです)


バリバラの方が1000万倍面白い。

健常者になれるリンゴを食べるかどうかのドラマは考えさせられましたし

出演者がみんな個性的な障碍をもっていて、演技もうまくて引き込まれました。

私が子供のころ、私の家には

聾唖者の従業員さんが何人か住み込みで働いていて

一緒に暮らしていました。 全く聞こえません。そして不思議なことにみんな美形なのです。

美人、美男子。 これ 不思議。

そして 何か注意されると 聞こえないことを逆手にとって とぼけたりもするし

人間味のあるふつうの人たちでした。

佐村河内さんが出てきたとき 「あ~~~聞こえていなくないじゃん」と思いました。

聞こえない人の行動ではなかったです。発音がまず違う。あのひとはしゃべれないふりをしている発音。


家に入ろうとして鍵がなくて、1FでTVを見ている(映画の字幕付きのもの)お兄さんに

「おーい」って言っても全く振り向かないので 石を投げて気づいてもらったり。

日々、一緒に暮らすとなると 最後の最後で難しい所はありますが

別に可哀想。。。と思った事はありませんでした。不便そうだなと思ったことはあります。



重い障碍をもっても健気に生きてる!は良いんです。その人の生き方だから素晴らしい。

でも、可愛そう、それを見て感動したい病の後世の空気が見えると うんざりします。




方向性を考え直すには、、、シリーズ化しすぎてしまっているのかしら。。。