私の父はスポーツなら何でも好きだった。
家にいる時は、大概TVでスポーツ中継を見ていた。
専門は陸上だが、野球やラグビーのプレー経験もあった。
だからお正月は、駅伝とラグビー中継ばかりだった。
そして春から秋にかけてのゴールデンタイムは常に野球中継。
初めはルールも理解できないし、また野球かよ!と思っていた。
だけど見続けているうちに、だんだん面白くなる。
この辺の話は前にも書いた気がするが、とにかく気がつくと、私はすっかり野球好きの子供になっていた。
そして父に連れられて野球場通い。
子供の頃から性格が捻くれていた私は、まず巨人嫌いになった。
そして下位低迷を続ける阪神ファンになった。
一番熱心だったのは高校生の頃。
年間30試合、観戦した。
つまりドーム、神宮、横浜の対阪神戦の殆どを見に行っていたわけだ。
一昨年の優勝は盛り上がった。
85年以来、またしてもどん底へ逆戻りかと言う状態が長く続いた。
だけど星野監督の許、奇跡の復活、そして優勝。
それなのに、私は殆ど球場に足を向けなかった。
高校生の頃と今と、何が一番変わったかというと、その情報量だ。
当時はネットなどと言うものは余り普及していなかった。
スカパーもなく、阪神のゲームを見られるのは巨人戦だけ。
後は直接球場に足を運ぶしかない。
新聞だってそうだ。
当時定期購読していた日刊スポーツの端から端を眺め回しても、阪神の記事はスコアだけと言う日も多かった。
せっかく巨人に勝っても、敗因や反省や、巨人目線のものばかり。
つくづく大阪日刊を読める人が羨ましかった。
今はその大阪日刊を、なんとネットで読むことが出来るのだ。
試合の翌日どころか、その日のうちに私は「なにわWEB」を読むことが出来る。
今もアニキ38号ソロが速報されている。
しかも今年7月からは、「虎番BLOG」も始まった。
大阪日刊の虎番記者5人が、ゲームのある日に交代でエントリーしてるのだ。
これは私の一番のお気に入りブログだ。
だけど簡単に情報が手に入ると、何故か距離が広がる。
今年も私は殆ど球場で六甲おろしを歌うことはなかった。
家にいる時は、大概TVでスポーツ中継を見ていた。
専門は陸上だが、野球やラグビーのプレー経験もあった。
だからお正月は、駅伝とラグビー中継ばかりだった。
そして春から秋にかけてのゴールデンタイムは常に野球中継。
初めはルールも理解できないし、また野球かよ!と思っていた。
だけど見続けているうちに、だんだん面白くなる。
この辺の話は前にも書いた気がするが、とにかく気がつくと、私はすっかり野球好きの子供になっていた。
そして父に連れられて野球場通い。
子供の頃から性格が捻くれていた私は、まず巨人嫌いになった。
そして下位低迷を続ける阪神ファンになった。
一番熱心だったのは高校生の頃。
年間30試合、観戦した。
つまりドーム、神宮、横浜の対阪神戦の殆どを見に行っていたわけだ。
一昨年の優勝は盛り上がった。
85年以来、またしてもどん底へ逆戻りかと言う状態が長く続いた。
だけど星野監督の許、奇跡の復活、そして優勝。
それなのに、私は殆ど球場に足を向けなかった。
高校生の頃と今と、何が一番変わったかというと、その情報量だ。
当時はネットなどと言うものは余り普及していなかった。
スカパーもなく、阪神のゲームを見られるのは巨人戦だけ。
後は直接球場に足を運ぶしかない。
新聞だってそうだ。
当時定期購読していた日刊スポーツの端から端を眺め回しても、阪神の記事はスコアだけと言う日も多かった。
せっかく巨人に勝っても、敗因や反省や、巨人目線のものばかり。
つくづく大阪日刊を読める人が羨ましかった。
今はその大阪日刊を、なんとネットで読むことが出来るのだ。
試合の翌日どころか、その日のうちに私は「なにわWEB」を読むことが出来る。
今もアニキ38号ソロが速報されている。
しかも今年7月からは、「虎番BLOG」も始まった。
大阪日刊の虎番記者5人が、ゲームのある日に交代でエントリーしてるのだ。
これは私の一番のお気に入りブログだ。
だけど簡単に情報が手に入ると、何故か距離が広がる。
今年も私は殆ど球場で六甲おろしを歌うことはなかった。