畠山被告が娘への殺意否認 秋田・連続児童殺害初公判(朝日新聞) - goo ニュース
理想の恋愛、理想の結婚
人間であれなんであれ動物にとって、子孫を残すというのはその存在の根本的な使命と考えてよいと思います。そして、人間にとっては、その使命は結婚において家族をつくることによって果たされます。
聖書にもありますように、人は結婚することによって、それまで育てられた両親に別れを告げて、新しい伴侶と家族を形成することになります。そして、新婚の伴侶とともに生活の多くの時間を共同で過ごすことになります。生まれも育ちも違うそれぞれの自我をもった二人の人間が、一つ屋根に生活することからさまざまな問題が起きざるを得ないということなのでしょう。
だから、やはり人間の幸福ということを考えるとき、その結婚生活が幸福なものであるかどうかは、その人の人生を大きく左右するといえます。結婚の失敗は人生の失敗と言ってもよいくらいです。
もちろん、「成功」がすべて幸福であるというような浅薄な幸福観は持ちませんし、キリスト教でも、「悲しむ人は幸いなり」といった自虐的とも思われかねない幸福観もありますから、現代の多くの女の子たちが願うような、絵に描いたようなマイホームの小さな幸せがすべてだとは思いません。しかしそれでも、幸せな結婚生活は、多くの人が願ってしかも、なかなか手に入れることのできないものなのでしょう。
久しぶりに、家族の問題に関係のあるいくつかのブログやサイトを覗いたりしましたが、やはり、さまざまな家族があり家庭があるものだという感想をあらためてもちます。時々テレビニュースなどでも、立派な家庭のその豪邸が画面に写されてながら、一方でその家庭内殺人事件などが報じられているのを見聞きすると、それぞれの家庭内の事情というのは、なかなか外見からは、分からないものだということにあらためて気づきます。
昔、瀬戸内海を行く船のデッキの上で、アンナ・カーレニナの文庫本を読んでいた記憶があります。その本はその以前から長く読み続けていて、ちょうど終局に差し掛かっていて、もう第7巻目ぐらいに入っていた頃だと思います。
すでに多くの人に取り上げられてはいますが、この本の冒頭に、「幸福な家庭はどれも似通っているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」ということばがあったことをその時思い出したことを覚えています。瀬戸内の深緑の海と、背後に流れゆく松島の美しい景色とともに記憶に刻まれています。
幸福な家庭はみんな似たようなものだけれど、不幸な家庭にはいろんな形の不幸があるということなのでしょう。結婚生活の悲劇を描いてこれほど印象深い作品はすぐには思い当たりません。もちろん、家庭や恋愛の悲劇を描いた文学作品は無数にあります。小説などの文学作品は、むしろ、それらがテーマだと言ってもいくらいです。シェークスピアの「ハムレット」も、漱石の「こころ」も恋愛の悲劇を描いたものです。
実際、誰しもが理想の出会いを願い、理想の恋愛と理想の結婚を求めながらも、その多くは悲劇に、時には喜劇に終わってしまいます。それほど、男女の人間関係は難しいということなのでしょうか。
しかし、もちろん結婚生活や恋愛の失敗は決して侮ることはできません。それが人生の破綻につながることも多いからです。自分の拳銃で恋人を殺した警察官の事件もそうですし、数年か前に秋田で、自分の子供を殺すことになった女性も、つきつめれば最初の男性との結婚に失敗して離婚したことが、事件を犯すことになった最大の理由だと言うことがわかります。また、ついこの間も、仙台でスーパーで働いていた女性が、後輩の女性に好きな男性との結婚を横槍され妨害されたことを恨んで、おそらく彼女自身も想像することすらなかったに違いない事件を起こしています。
秋田連続児童殺害事件
ネット上でも、結婚の問題がどのように取り扱われているのかちょと調べてみても、そこにはいろんな夫婦関係が記録されていて、なかには「こんな夫もいるのか」など驚かされることもあります。こんな夫と結婚すれば、奥さんも耐えられないだろうなと同情心も起きたりします。
それでも、その多くの記事について読んでも、やはり昔から「夫婦喧嘩は犬も食わない」ということわざもあるように、イラクやアフガニスタンに比べれば、日本は平和だな、くだらない、と感じることも少なくありません。
※ ラファエロ 聖母子像 写真先