10:15 from Saezuri
第三節 ヘーゲルとプロテスタンティズムヘーゲルはプロテスタンティズムの新しい理解を我がものにし、これを宗教一般の基盤における最終形態と見なすに到った。これは青年時代とはまったく逆の立場である。青年期の厳しいキリスト教に向けられたものであったが、 a
10:21 from Saezuri
とりわけ強い反感と嫌悪感が向けられていたのはカトリシズムに対してというよりもむしろ、プロテスタンティズムに対してであった。とりわけ故国ヴェルテンブルクの国家権力と結託したルター派正統主義教会の支配とそのイデオロギー的支柱であるテュービンゲン神学に対してであった。b
10:23 from Saezuri
それが今では「私はルター派教徒です。そして哲学によっても完全にルター主義の信仰を強めています」(1826年7月3日付けトールク宛書簡)と公言するところまできたのである。(S228)
10:50 from Saezuri
こうした発言をもってヘーゲルは既成のキリスト教と和解したと見なしてよいであろうか。もしも、「既成のキリスト教」ということで、当時彼の現前にあった体制的なキリスト教を指すとすれば、そのようには言えない。当代のキリスト教会は時間を三〇〇年前に戻そうとしていた。a
10:57 from Saezuri
教会合同に刺激された古い宗派主義はますます勢いをつけて来ていた。信仰覚醒運動から生じた新敬虔主義は正統主義と手を携えて近代精神に襲いかかっていた。このような趨勢にあったキリスト教会とヘーゲルは和解すべくもなかった。 b
10:59 from Saezuri
ヘーゲルはむしろキリスト教会のこうした反動的な傾向と対決するために「プロテスタンティズムの原理」という旗を高く掲げるようになったのである。当時「プロテスタント(抗議する者)」というプロテスタンティズムの成立事情を伝える栄光ある名称さえもが抹消されようとしていた。 c
11:02 from Saezuri
ヘーゲルはこれを、外的な権威をしりぞけ自己の主体的な確信に従うというプロテスタンティズムの核心的原理が抹殺される危機として受け止めた。「プロテスタンティズムはデカルトとtもに始まった」という極端な一般化までして、この原理を旗印にしたのはこうした背景があった。 (S229)
11:06 from Saezuri
一 新プロテスタンティズムの理念この一般化された「プロテスタンティズム」という概念の歴史的な意義は、トレルチの「新プロテスタンティズム」の概念によって一層よく理解できるように思われる。トレルチは宗教改革そのものは近代の開始ではなく、 a
11:13 from Saezuri
キリスト教文化の再興をめざした中世的な性格をもつものとみる。この啓蒙の影響が一七世紀末からプロテスタンティズムに浸透していき、プロテスタンティズムは自由と人間性の理念を取り込んだ近代的なものに生まれ変わった。トレルチは一六、七世紀の中世的性格を引きずるプロテスタンティズムをb
11:24 from Saezuri
「旧プロテスタンティズムAltprotestantismus」18世紀以降の「啓蒙化されたプロテスタンティズム」を「新プロテスタンティズムNeuprotestantismus」と呼んで区別した。後者は、イギリスやフランスの啓蒙主義の影響を受け、ライプニッツに始まり、 c
11:28 from Saezuri
レッシング、ヘルダーを経て、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、シュライヘルマッヘルへと展開してゆく一連の思想運動である。このなかで、プロテスタンティズム自身の歴史に対する自己理解が生まれ、プロテスタンティズムの原理と歴史上のプロテスタント教会との区別が自覚される。d
15:25 from gooBlog production
ブログと連携はじめました。 blog.goo.ne.jp/aseas/
15:41 from Saezuri
教会の教義体系を批判する超教派的、非教義的プロテスタンティズムが成立する。これに対して、信仰覚醒運動や新敬虔主義は、古い宗派主義に還ろうとする反啓蒙の運動であり、新プロテスタンティズムに対決する旧プロテスタンティズムからの対抗運動であった。 e
15:49 from Saezuri
十九世紀初頭からドイツのキリスト教会を席巻していたこうした反動的な潮流とヘーゲルは闘ったのである。それゆえに、もしもヘーゲルとキリスト教会との和解を語りうるとすれば、それは彼自身が自由と理性の宗教としてあまりにも理念化しすぎたキリスト教との和解であった。f
15:56 from Saezuri
たしかにヘーゲルは若い時から啓蒙の冷たい知性主義を嫌っていた。カントの二元論への批判に代表されるように、啓蒙の抽象的悟性への克服は終生のモチーフであった。「宗教哲学」講義でもこのモチーフは啓蒙の宗教観への仮借なき批判として展開された。 f
15:59 from Saezuri
ここからヘーゲルは反啓蒙主義者であるかのような印象が与えられる。※啓蒙の抽象的悟性の克服は、単にフランス革命や共産主義革命の否定的側面の克服に関わるだけではない。今日の環境左翼や男女共同参画といった運動にも「啓蒙の抽象的悟性」は引き継がれており、その克服は今日的な課題でもある。
第三節 ヘーゲルとプロテスタンティズムヘーゲルはプロテスタンティズムの新しい理解を我がものにし、これを宗教一般の基盤における最終形態と見なすに到った。これは青年時代とはまったく逆の立場である。青年期の厳しいキリスト教に向けられたものであったが、 a
10:21 from Saezuri
とりわけ強い反感と嫌悪感が向けられていたのはカトリシズムに対してというよりもむしろ、プロテスタンティズムに対してであった。とりわけ故国ヴェルテンブルクの国家権力と結託したルター派正統主義教会の支配とそのイデオロギー的支柱であるテュービンゲン神学に対してであった。b
10:23 from Saezuri
それが今では「私はルター派教徒です。そして哲学によっても完全にルター主義の信仰を強めています」(1826年7月3日付けトールク宛書簡)と公言するところまできたのである。(S228)
10:50 from Saezuri
こうした発言をもってヘーゲルは既成のキリスト教と和解したと見なしてよいであろうか。もしも、「既成のキリスト教」ということで、当時彼の現前にあった体制的なキリスト教を指すとすれば、そのようには言えない。当代のキリスト教会は時間を三〇〇年前に戻そうとしていた。a
10:57 from Saezuri
教会合同に刺激された古い宗派主義はますます勢いをつけて来ていた。信仰覚醒運動から生じた新敬虔主義は正統主義と手を携えて近代精神に襲いかかっていた。このような趨勢にあったキリスト教会とヘーゲルは和解すべくもなかった。 b
10:59 from Saezuri
ヘーゲルはむしろキリスト教会のこうした反動的な傾向と対決するために「プロテスタンティズムの原理」という旗を高く掲げるようになったのである。当時「プロテスタント(抗議する者)」というプロテスタンティズムの成立事情を伝える栄光ある名称さえもが抹消されようとしていた。 c
11:02 from Saezuri
ヘーゲルはこれを、外的な権威をしりぞけ自己の主体的な確信に従うというプロテスタンティズムの核心的原理が抹殺される危機として受け止めた。「プロテスタンティズムはデカルトとtもに始まった」という極端な一般化までして、この原理を旗印にしたのはこうした背景があった。 (S229)
11:06 from Saezuri
一 新プロテスタンティズムの理念この一般化された「プロテスタンティズム」という概念の歴史的な意義は、トレルチの「新プロテスタンティズム」の概念によって一層よく理解できるように思われる。トレルチは宗教改革そのものは近代の開始ではなく、 a
11:13 from Saezuri
キリスト教文化の再興をめざした中世的な性格をもつものとみる。この啓蒙の影響が一七世紀末からプロテスタンティズムに浸透していき、プロテスタンティズムは自由と人間性の理念を取り込んだ近代的なものに生まれ変わった。トレルチは一六、七世紀の中世的性格を引きずるプロテスタンティズムをb
11:24 from Saezuri
「旧プロテスタンティズムAltprotestantismus」18世紀以降の「啓蒙化されたプロテスタンティズム」を「新プロテスタンティズムNeuprotestantismus」と呼んで区別した。後者は、イギリスやフランスの啓蒙主義の影響を受け、ライプニッツに始まり、 c
11:28 from Saezuri
レッシング、ヘルダーを経て、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、シュライヘルマッヘルへと展開してゆく一連の思想運動である。このなかで、プロテスタンティズム自身の歴史に対する自己理解が生まれ、プロテスタンティズムの原理と歴史上のプロテスタント教会との区別が自覚される。d
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教会の教義体系を批判する超教派的、非教義的プロテスタンティズムが成立する。これに対して、信仰覚醒運動や新敬虔主義は、古い宗派主義に還ろうとする反啓蒙の運動であり、新プロテスタンティズムに対決する旧プロテスタンティズムからの対抗運動であった。 e
15:49 from Saezuri
十九世紀初頭からドイツのキリスト教会を席巻していたこうした反動的な潮流とヘーゲルは闘ったのである。それゆえに、もしもヘーゲルとキリスト教会との和解を語りうるとすれば、それは彼自身が自由と理性の宗教としてあまりにも理念化しすぎたキリスト教との和解であった。f
15:56 from Saezuri
たしかにヘーゲルは若い時から啓蒙の冷たい知性主義を嫌っていた。カントの二元論への批判に代表されるように、啓蒙の抽象的悟性への克服は終生のモチーフであった。「宗教哲学」講義でもこのモチーフは啓蒙の宗教観への仮借なき批判として展開された。 f
15:59 from Saezuri
ここからヘーゲルは反啓蒙主義者であるかのような印象が与えられる。※啓蒙の抽象的悟性の克服は、単にフランス革命や共産主義革命の否定的側面の克服に関わるだけではない。今日の環境左翼や男女共同参画といった運動にも「啓蒙の抽象的悟性」は引き継がれており、その克服は今日的な課題でもある。