サラワク州の州都・クチンと第二の街・ミリとのちょうど真ん中くらいに、ビントゥルという街がある。
ミリから長距離バスに揺られること約3時間。
そこは、石油会社・シェルが大規模に開発を手がけている、オイル産業の一大スポットだ。
その様を一目見たくて、私は一人、早朝の格安バスに乗り込んだ。
価格はミリから30リンギット(=約1020円)。3時間なら悪くない。
到着して市街地をぐるっと眺めた。
・・・想像していたよりつまらなさそうな印象。
コンクリート造りの同じような建物が並ぶ街並は、昔からこの辺りを牛耳っているんであろう華僑のにおいをプンプンと漂わせ、近くを流れる川や、その川辺にあるマーケットも、どことなく乱暴で煩雑とした雰囲気を持ち合わせていた。
「向こう岸に行くには、どうしたらいいんですか?」
川の向こうに、大量の丸太が積み上げられているのが見えた。
“とりあえず、行くっきゃないだろ。”
そう思った私は、岸辺にいた見知らぬ人に船着き場の在処を聞いて回り、ようやくたどり着いた乗船場で客船をチャーターすることに成功。約10分間のチャーターで20リンギット(=約680円)という安さで船を独り占めすることになった。
伐採した木材の製材所は、見渡せる範囲で3ヶ所あった。いずれも川岸。
熱帯雨林から船で運ばれた丸太は、大海原に出る前にこうして加工されるらしい。
そしてそれら製材所に挟まれるように、この辺りに元々住んでいるマレー人の村があるのだった。
つまりそれはこういうことを表していた。
街をつくりあげている華僑(市内に住む人口の90%以上は中国人だという)が、 オイル産業や伐採企業らと共にこの地域経済の中心にいて、元々住んでいたマレー系の人たちは、未だ近くの村で川に依存した生活を送っている。
伐採のために茶色く濁った川辺で魚を獲り、育てた野菜を市内で売り、この地域自体はオイルマネーで潤っているはずなのに、彼らの村や生活が発展することはない。
翌日、私は そのKampung Jepakというマレー系住民の村を訪れるため、対岸に上陸した。
そこには、市内とは一転して穏やかな景色が広がる、とてもチャーミングな村があった。
行き交う人たちは、見慣れない顔の私に笑顔を向け歓迎してくれる。
溢れる緑、カラフルな家、青く広い空、ゆったりと流れる空気、朗らかに笑う村人たち、そして外から来た人間を受け入れるだけの余裕と、その中で感じる居心地のよさ。
Bintuluというこの街ははまるで、どんどん移り変わっていく世界経済の歯車と、それによってどんどん取り残されていく人々の生活とを上手く並べて絵に描いたような場所だな、と私は思った。
大きな川で隔てられたその対比は見事なもので、例えばこの川を毎日船で渡って学校に通う村の子どもたちや、街に働きに行く大人たちや、買い物に出かける若者たちは、一体どんな気持ちで街の発展を眺め、どんな気持ちで村に帰ってくるんだろう・・・。そんなことを想像したりもした。
ところで肝心のオイル・ステーションは、市内から村の反対側にタクシーを走らせること約30分。
メタリックなガス灯からオレンジ色の火を吹いている工場みたいなところが、LNGと呼ばれるシェルの一大オイル基地だ。
数年前までは丘の上から全貌が見渡せたらしいのだが、今は立ち入り禁止になっていて残念ながら丘に上ることはできない。それでもできるだけ工場に近づき、初めて見る石油の生産基地をこの目でしかと確認。
・・・だから何だ?という話ではあるが、自分の日常生活で最も頻繁に使っている石油の元に一歩でも近づけたかと思うと、何となく “見てやった!” 的なプチ満足感に浸れたりするのだった。
ビントゥルでは、更に郊外にある小さな村の近くで、数年後からアルミニウムの精製工場が始動することになっている。
帰りのタクシーの運転手によると、さすがにアルミニウムの精製には華僑(中国人)市民も反対らしく、深刻な公害が起きないかが懸念されているのだとか。
“つまらない” 街だと思ったビントゥルだが、これから郊外の村々がどう変化していくのかは注目されるところだ。
是非、何とか、村の人たちの笑顔が消えてしまうことだけはないように願いたい。
ミリから長距離バスに揺られること約3時間。
そこは、石油会社・シェルが大規模に開発を手がけている、オイル産業の一大スポットだ。
その様を一目見たくて、私は一人、早朝の格安バスに乗り込んだ。
価格はミリから30リンギット(=約1020円)。3時間なら悪くない。
到着して市街地をぐるっと眺めた。
・・・想像していたよりつまらなさそうな印象。
コンクリート造りの同じような建物が並ぶ街並は、昔からこの辺りを牛耳っているんであろう華僑のにおいをプンプンと漂わせ、近くを流れる川や、その川辺にあるマーケットも、どことなく乱暴で煩雑とした雰囲気を持ち合わせていた。
「向こう岸に行くには、どうしたらいいんですか?」
川の向こうに、大量の丸太が積み上げられているのが見えた。
“とりあえず、行くっきゃないだろ。”
そう思った私は、岸辺にいた見知らぬ人に船着き場の在処を聞いて回り、ようやくたどり着いた乗船場で客船をチャーターすることに成功。約10分間のチャーターで20リンギット(=約680円)という安さで船を独り占めすることになった。
伐採した木材の製材所は、見渡せる範囲で3ヶ所あった。いずれも川岸。
熱帯雨林から船で運ばれた丸太は、大海原に出る前にこうして加工されるらしい。
そしてそれら製材所に挟まれるように、この辺りに元々住んでいるマレー人の村があるのだった。
つまりそれはこういうことを表していた。
街をつくりあげている華僑(市内に住む人口の90%以上は中国人だという)が、 オイル産業や伐採企業らと共にこの地域経済の中心にいて、元々住んでいたマレー系の人たちは、未だ近くの村で川に依存した生活を送っている。
伐採のために茶色く濁った川辺で魚を獲り、育てた野菜を市内で売り、この地域自体はオイルマネーで潤っているはずなのに、彼らの村や生活が発展することはない。
翌日、私は そのKampung Jepakというマレー系住民の村を訪れるため、対岸に上陸した。
そこには、市内とは一転して穏やかな景色が広がる、とてもチャーミングな村があった。
行き交う人たちは、見慣れない顔の私に笑顔を向け歓迎してくれる。
溢れる緑、カラフルな家、青く広い空、ゆったりと流れる空気、朗らかに笑う村人たち、そして外から来た人間を受け入れるだけの余裕と、その中で感じる居心地のよさ。
Bintuluというこの街ははまるで、どんどん移り変わっていく世界経済の歯車と、それによってどんどん取り残されていく人々の生活とを上手く並べて絵に描いたような場所だな、と私は思った。
大きな川で隔てられたその対比は見事なもので、例えばこの川を毎日船で渡って学校に通う村の子どもたちや、街に働きに行く大人たちや、買い物に出かける若者たちは、一体どんな気持ちで街の発展を眺め、どんな気持ちで村に帰ってくるんだろう・・・。そんなことを想像したりもした。
ところで肝心のオイル・ステーションは、市内から村の反対側にタクシーを走らせること約30分。
メタリックなガス灯からオレンジ色の火を吹いている工場みたいなところが、LNGと呼ばれるシェルの一大オイル基地だ。
数年前までは丘の上から全貌が見渡せたらしいのだが、今は立ち入り禁止になっていて残念ながら丘に上ることはできない。それでもできるだけ工場に近づき、初めて見る石油の生産基地をこの目でしかと確認。
・・・だから何だ?という話ではあるが、自分の日常生活で最も頻繁に使っている石油の元に一歩でも近づけたかと思うと、何となく “見てやった!” 的なプチ満足感に浸れたりするのだった。
ビントゥルでは、更に郊外にある小さな村の近くで、数年後からアルミニウムの精製工場が始動することになっている。
帰りのタクシーの運転手によると、さすがにアルミニウムの精製には華僑(中国人)市民も反対らしく、深刻な公害が起きないかが懸念されているのだとか。
“つまらない” 街だと思ったビントゥルだが、これから郊外の村々がどう変化していくのかは注目されるところだ。
是非、何とか、村の人たちの笑顔が消えてしまうことだけはないように願いたい。