この村の何が「世界一」なのか?
それはマレーシア本島からボルネオ島に飛ぶ飛行機の中で聞かされた。
「あー、ここ、このバリオって村はいいよ。バリオ。ここは世界一だ。」
標高が高いからちょっと寒いけどね、とその男性はにっこり笑って言った。
何が「世界一」かというと、その男性が言うには、「お米」が世界一なのだという。
・・・タイ米に代表される東南アジアの長細いお米が「世界一」だなんて、ふざけた話を・・ と、私は腹の中で笑った。
けれどどうやらこのBarioという村が素晴らしいことは間違いないらしい、とその後何人かの話で私は考えを改め始める。
一体何があるのかはよく分からないが、手元にある英語のガイドブックにも「一度行ったら帰りたくなくなる」というようなことが書いてあった。
そこに住んでいるのは Kelabit (クラビット)民族で、Bario米というブランド米の産地・・・だとか。
私は予定していたムル国立公園を変更して、Bario行きの飛行機を予約した。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
12人しか乗れない小型の飛行機は45分間、せわしなくプロペラを回して熱帯雨林の上を飛行し、きれいに整えられた田んぼと数棟の集落が見えるその小さな村に無事着陸した。空港の建物は手づくり感あふれる白と水色の木造で、飛行機からその建物まで歩いていく間だけで全貌がすっかり見渡せてしまうほどのコンパクトさだ。村人らしき年寄りや子どもたちが、到着した飛行機を嬉しそうに眺めていた。
ところで私はガイドブックに載っていた Labang LongHaouse (ラバンロングハウス) をこの村での宿泊先に選んでいた。そして予約のために電話をかけたところ、こんなことを聞かされたのだった。
「空港に着いたら、誰にでもいいから“リアンの家に連れて行って”と頼んでちょうだい。タクシーやバスはないけど、誰でも快く連れて行ってくれるから。10RM (約340円) のお礼を払うといいわ。」
更に別の人からはこんなことを言われていた。
「空港のカフェにピーターという男がいると思うから、彼に声をかけてみたらいいよ。奴は別にカフェで働いてるわけではないけど、まぁ大抵いつもそこにいるんだ。僕が通っていた10年間は変わらずそこにいたから、きっと今でも同じだよ。」
・・・バスはない、タクシーもない、誰にでも声をかけていい、カフェに働いてもいない男が毎日通っている、・・・つまり全く想像がつかないトンでもなさそうな場所に、私は今足っているのだった。
Labang LongHouseは、60歳を過ぎた父親と息子のリアンが営んでいる実にアットホームなゲストハウスで、横一列にズラ~っと部屋が並んでいるボルネオ島の伝統的な家屋でホームステイ気分が味わえる、とても贅沢な宿だった。
このLongHouseと呼ばれる伝統的家屋は、長い家では端から端までが100m以上もあり、何十家族もの親戚一同が共同生活を送っているという。しかしそうした大人数での生活は今では珍しく、Labang家のようにゲストハウスに活用したり、クリスマスや祝い事で人が集まる場所になっていたり、はたまた大きな家に少人数がひっそり暮らしていたりするのが現状なのだとか。
リアンに村の簡単な地図をもらい、ぐるり一周歩いてみることにした。
「道は一本しかないから迷うことはないよ。ぐるっと歩いて2時間くらいかな。」
白い一本のでこぼこ道に導かれるように、私はゆっくりと歩き出した。
両際には刈り終えた後の田んぼが広がっていて、その向こう側に緑生い茂る山々が見える。
日本人、特に田舎育ちの者なら誰もが感じるだろう “懐かしい” 景色が、そこに広がっていた。
人々は、天然の素材でつくられた籠を担いで歩いているか、もしくは泥だらけのオートバイに2人乗りで走っているか・・・。たまに4WDのごつい車が荷物や人を運んで通り過ぎる。道がでこぼこのために水たまりがあちこちにあり、オートバイや車は上下左右に大きく揺れ、水を弾きながらゆっくりと走っているのだった。
ちなみにこの村の人口はわずか500人ほど。なので道ゆく人はそう多くなく、ましてや車などは数えるくらいしかない。恐らく村全体で2台か、3台か・・・。人気のブランドはTOYOTA。オートバイならHONDAやYAMAHA。ガソリンなどと一緒に、街から船で運んだそうだ。
そしてこの村の驚くべきは、「人」。
人がみな、驚くべき笑顔なのだ。
出会う人出会う人、みなが笑顔で挨拶する。
見知らぬ外国人の私にも、目が合えば必ずにこっと微笑む。
ここに来てようやく分かった、「誰にでも声をかけていい」理由。
こうして「一度行ったら帰りたくなくなる」場所はつくられているのだ。
率直に思った。
・・・うらやましい。そして、ここに住みたい。
もし何十年か前の日本がこんな風なのだったら、私は本当に昔の人を羨ましく思う。
車も電気も、贅沢品なんかは充分にはないけれど、人々の心に笑顔があり、他社を受け入れる余裕があり、村全体が穏やかさに満ちている。そこは少なくとも私にとって抜群に居心地がよく、理由などなしにほっと安心できる場所だった。
日本では「スローライフ」という言葉が流行っている。
けれど私たちは生まれたときから「ファーストライフ」の社会にいて、とにかく上を向いて頑張って頑張って頑張り通さなきゃいけないように教え込まれている。確かに「スローライフ」に憧れこそするものの、例えば農業を始めてみたところで余計にアクセクした生活を送らなきゃいけなくなる可能性だって低くない。
まさに「スローライフ」を形に表したようなこの村で、私は初めてその意味を知った。
スローライフとは、きっと心の問題だ。
心を穏やかに、自分や他人を思いやり、余裕をもって毎日を暮らすこと。
そんなゆったりした気持ちになるために、あまりに便利すぎるものは必要ない、もしくはない方がいいのかもしれない。
一度は経験してみるといい。
私はここで、こうして体中で「スローな」喜びを味わえたこと、そのことに感謝したいと思う。
それはマレーシア本島からボルネオ島に飛ぶ飛行機の中で聞かされた。
「あー、ここ、このバリオって村はいいよ。バリオ。ここは世界一だ。」
標高が高いからちょっと寒いけどね、とその男性はにっこり笑って言った。
何が「世界一」かというと、その男性が言うには、「お米」が世界一なのだという。
・・・タイ米に代表される東南アジアの長細いお米が「世界一」だなんて、ふざけた話を・・ と、私は腹の中で笑った。
けれどどうやらこのBarioという村が素晴らしいことは間違いないらしい、とその後何人かの話で私は考えを改め始める。
一体何があるのかはよく分からないが、手元にある英語のガイドブックにも「一度行ったら帰りたくなくなる」というようなことが書いてあった。
そこに住んでいるのは Kelabit (クラビット)民族で、Bario米というブランド米の産地・・・だとか。
私は予定していたムル国立公園を変更して、Bario行きの飛行機を予約した。
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12人しか乗れない小型の飛行機は45分間、せわしなくプロペラを回して熱帯雨林の上を飛行し、きれいに整えられた田んぼと数棟の集落が見えるその小さな村に無事着陸した。空港の建物は手づくり感あふれる白と水色の木造で、飛行機からその建物まで歩いていく間だけで全貌がすっかり見渡せてしまうほどのコンパクトさだ。村人らしき年寄りや子どもたちが、到着した飛行機を嬉しそうに眺めていた。
ところで私はガイドブックに載っていた Labang LongHaouse (ラバンロングハウス) をこの村での宿泊先に選んでいた。そして予約のために電話をかけたところ、こんなことを聞かされたのだった。
「空港に着いたら、誰にでもいいから“リアンの家に連れて行って”と頼んでちょうだい。タクシーやバスはないけど、誰でも快く連れて行ってくれるから。10RM (約340円) のお礼を払うといいわ。」
更に別の人からはこんなことを言われていた。
「空港のカフェにピーターという男がいると思うから、彼に声をかけてみたらいいよ。奴は別にカフェで働いてるわけではないけど、まぁ大抵いつもそこにいるんだ。僕が通っていた10年間は変わらずそこにいたから、きっと今でも同じだよ。」
・・・バスはない、タクシーもない、誰にでも声をかけていい、カフェに働いてもいない男が毎日通っている、・・・つまり全く想像がつかないトンでもなさそうな場所に、私は今足っているのだった。
Labang LongHouseは、60歳を過ぎた父親と息子のリアンが営んでいる実にアットホームなゲストハウスで、横一列にズラ~っと部屋が並んでいるボルネオ島の伝統的な家屋でホームステイ気分が味わえる、とても贅沢な宿だった。
このLongHouseと呼ばれる伝統的家屋は、長い家では端から端までが100m以上もあり、何十家族もの親戚一同が共同生活を送っているという。しかしそうした大人数での生活は今では珍しく、Labang家のようにゲストハウスに活用したり、クリスマスや祝い事で人が集まる場所になっていたり、はたまた大きな家に少人数がひっそり暮らしていたりするのが現状なのだとか。
リアンに村の簡単な地図をもらい、ぐるり一周歩いてみることにした。
「道は一本しかないから迷うことはないよ。ぐるっと歩いて2時間くらいかな。」
白い一本のでこぼこ道に導かれるように、私はゆっくりと歩き出した。
両際には刈り終えた後の田んぼが広がっていて、その向こう側に緑生い茂る山々が見える。
日本人、特に田舎育ちの者なら誰もが感じるだろう “懐かしい” 景色が、そこに広がっていた。
人々は、天然の素材でつくられた籠を担いで歩いているか、もしくは泥だらけのオートバイに2人乗りで走っているか・・・。たまに4WDのごつい車が荷物や人を運んで通り過ぎる。道がでこぼこのために水たまりがあちこちにあり、オートバイや車は上下左右に大きく揺れ、水を弾きながらゆっくりと走っているのだった。
ちなみにこの村の人口はわずか500人ほど。なので道ゆく人はそう多くなく、ましてや車などは数えるくらいしかない。恐らく村全体で2台か、3台か・・・。人気のブランドはTOYOTA。オートバイならHONDAやYAMAHA。ガソリンなどと一緒に、街から船で運んだそうだ。
そしてこの村の驚くべきは、「人」。
人がみな、驚くべき笑顔なのだ。
出会う人出会う人、みなが笑顔で挨拶する。
見知らぬ外国人の私にも、目が合えば必ずにこっと微笑む。
ここに来てようやく分かった、「誰にでも声をかけていい」理由。
こうして「一度行ったら帰りたくなくなる」場所はつくられているのだ。
率直に思った。
・・・うらやましい。そして、ここに住みたい。
もし何十年か前の日本がこんな風なのだったら、私は本当に昔の人を羨ましく思う。
車も電気も、贅沢品なんかは充分にはないけれど、人々の心に笑顔があり、他社を受け入れる余裕があり、村全体が穏やかさに満ちている。そこは少なくとも私にとって抜群に居心地がよく、理由などなしにほっと安心できる場所だった。
日本では「スローライフ」という言葉が流行っている。
けれど私たちは生まれたときから「ファーストライフ」の社会にいて、とにかく上を向いて頑張って頑張って頑張り通さなきゃいけないように教え込まれている。確かに「スローライフ」に憧れこそするものの、例えば農業を始めてみたところで余計にアクセクした生活を送らなきゃいけなくなる可能性だって低くない。
まさに「スローライフ」を形に表したようなこの村で、私は初めてその意味を知った。
スローライフとは、きっと心の問題だ。
心を穏やかに、自分や他人を思いやり、余裕をもって毎日を暮らすこと。
そんなゆったりした気持ちになるために、あまりに便利すぎるものは必要ない、もしくはない方がいいのかもしれない。
一度は経験してみるといい。
私はここで、こうして体中で「スローな」喜びを味わえたこと、そのことに感謝したいと思う。
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