訪れたのは、ジェネラル・サントス市内にある小さな教会。
ここに、市内各地に住む高校生18人が集まった。
彼らは皆、日本人パートナーによる学費支援で高校に通っている。
つまり支援がなければ公立の学校にさえ通えない子ども達だ。
ICANが開いた1泊2日のワークショップは、今回この地で初めて試みられた。
目的は、彼らの経験や思い、考えなんかを言葉にし、お互いに聞き合うこと。
様々な背景をもつ子ども達の胸の内を知ることは、彼らのためにも、また彼らを支援する側の人達にとっても大きな価値がある。そうスタッフ一同は胸を膨らませていた。
そして21日夕方。
ワヤワヤと集まって来た、一見街で見かける若者となんら変わらない極フツウの高校生たちは、まずお互いに自己紹介をし、自分の長所や短所を書き出して自己分析をし、その後グループに分かれて話し合いを始めた。
自分たちとは違う宗教・イスラム教の村ではどんな日常風景が広がっているのか、について。
ファシリテーターを務めるアテテスが言った。
「単にモスクが建ってるだけじゃないわよね?そこで生活するには何が必要か、どんな人達がどんな生活をしているかを考えて、それぞれグループごとに絵に描いてみて。」
そうやって、自分自身のことや他人のこと、その違いや共通点を考え話し合う時間がゆっくりと流れた。
翌日午後、コトは突然起きた。
全員が輪になってアテテスの話を聞き始めたとき、一人の女の子が急に涙を流しはじめた。
言葉が分からない私は、その涙の理由も何が問題になっているのかも全く分からないまま、ただコトの成り行きをだまって見守るしかなく、誰かが女の子を中傷したのかしら、と思ってみたり、誰かが起こした喧嘩の原因について話し合っているのかしら、と想像してみたり・・・。
けれどいくら待っても事態はちっとも変わらず、変わらないどころか次々と他の子ども達まで泣き出す始末。アテテスも深刻な顔をしてそれぞれの子の話を聞いている。
そんな状態が、1時間、2時間・・・と続いた。
何ひとつ訳が分からないまま、私はその場の緊張した雰囲気や、彼/彼女たちの表情をじっと見つめていた。
そして何故かこんなことを思っていた。
“きっと、私が今まで当たり前にやってきたことは本当はものすごく恵まれたことで、その中で今の自分がつくられたという事実は、本当は奇跡に近いほど有難いことなんだろうな。”
ワークショップ終了後、夕飯を食べながらアテテスが言った。
「それにしてもビックリしたわよ。全員が泣き出すなんて。」
「なんで泣いてたの?」
「私が質問したのよ、“自分を最も脅かしてるものは何か?” “何が一番怖いか?”ってね。そしたら次々と泣き出しちゃったの。」
例えばある男の子は家族を失うのが怖いと言った。
小さい頃に母親が家出をし、2人の兄弟は病気で亡くなり、唯一残った兄も数年前に結婚して家を出た。今は闘病中の父親の世話をしながら学校帰りにタクシーを洗って一日300円ほどの稼ぎで生活している。
これ以上、ひとりぼっちになりたくない、と。
また別の子は、兄が買ってきたお酒でホームパーティをしたときに父親と2人の兄貴が喧嘩をし、止めに入った母親を思い切りぶったという話。その光景がトラウマとなって彼を脅かしている。
また別の女の子は、自分がどんなにがんばって働き、どんなにがんばって勉強しても関心を示してくれない父親の話。更に親戚からレイプされたことを打ち明けた時でさえ、父親は守ってくれなかったという。
フィリピンに限らずきっと日本でも、たくさんの子ども達が同じように辛い思いを胸にしまい込んで生きている。
ただただ願うのは、そうした深い傷を少しでも“声”に出し、共有できる機会が彼らに与えられることだ。
例えば自分の感情を涙に込めて流せたり、 例えば複数の人が自分の話に耳を傾けていて、また自分も他の人の話を聞いて比較できたり、 例えば信頼できるリーダーに行動や考え方を導かれたり・・・。
そうした私が当たり前にできてきたことが、彼らには決して当たり前に用意されていないのだ。
パヤタスのゴミ山に佇む診療所で、28日、ふたつ目のワークショップが開かれた。
やってきたのは、マニラ郊外の児童施設で暮らす元ストリートチルドレンの子ども達。
ファシリテーターのマイエンが聞いた。
「子どもの権利って何だと思う?」
「教育を受ける権利」
「家族に愛される権利」
「名前をもつ権利」
何年も路上で暮らしていた彼らから出てくる言葉は、どれもずっしりと重たい。
「ずっと汚いもの扱いされてきた。路上にいた頃は、まるで人間じゃないみたいだったよ。」
「今は仲間がいる。施設に入って、やっと思いやりとか愛を感じられるようになった。僕は幸せ者だよ。」
「離ればなれになった家族のことをたまに思い出すんだ。将来はちゃんと一緒にいられる家族をつくりたい。」
子どもを育てるのは、“環境” 。
回りの人や家族、出会い、境遇、そういったものが人をつくる。
そしてそれらがまた人を変え、未来をつくっていくのだ。
18歳のロレット君が言った。
「施設に連れて行かれた時、はじめはすぐに逃げ出そうと思ってたんだ。でもしばらくして考えるようになった。どうしてこの人たちは、自分にこんなにも優しくしてくれるのか。それで神様のこととか、祈り方を教えてもらうようになったんだ。」
「今はこう思うよ。貧しい人も神様がつくったものなんだ。僕らがどんな生き方をするのかを、神様はちゃんと見ている。それに、貧しく生まれたから、どん底から這い上がることも経験できたんだ。全部、僕に与えられた試練だよ。」
彼がどんなに辛い思いをしてきたのかを想えば想うほど頭が上がらない。頭が上がらないどころか、ささいなことにも不満ばかり並べてきた自分の至らなさを、私は心から恥ずかしく思った。
この世に生まれたことに感謝すること。
どんなに辛くても前を向いて歩くこと。
私たちが彼らに教わるべきことは、あまりに大きい。
まずは “声” に出すことだ。それを促し、聞き合い、思いを共有することから変化は生まれる。
彼らにも、私たちにも。
そうした機会とそこから生まれる小さな変化が、今後少しずつ増えることを願っている。
ここに、市内各地に住む高校生18人が集まった。
彼らは皆、日本人パートナーによる学費支援で高校に通っている。
つまり支援がなければ公立の学校にさえ通えない子ども達だ。
ICANが開いた1泊2日のワークショップは、今回この地で初めて試みられた。
目的は、彼らの経験や思い、考えなんかを言葉にし、お互いに聞き合うこと。
様々な背景をもつ子ども達の胸の内を知ることは、彼らのためにも、また彼らを支援する側の人達にとっても大きな価値がある。そうスタッフ一同は胸を膨らませていた。
そして21日夕方。
ワヤワヤと集まって来た、一見街で見かける若者となんら変わらない極フツウの高校生たちは、まずお互いに自己紹介をし、自分の長所や短所を書き出して自己分析をし、その後グループに分かれて話し合いを始めた。
自分たちとは違う宗教・イスラム教の村ではどんな日常風景が広がっているのか、について。
ファシリテーターを務めるアテテスが言った。
「単にモスクが建ってるだけじゃないわよね?そこで生活するには何が必要か、どんな人達がどんな生活をしているかを考えて、それぞれグループごとに絵に描いてみて。」
そうやって、自分自身のことや他人のこと、その違いや共通点を考え話し合う時間がゆっくりと流れた。
翌日午後、コトは突然起きた。
全員が輪になってアテテスの話を聞き始めたとき、一人の女の子が急に涙を流しはじめた。
言葉が分からない私は、その涙の理由も何が問題になっているのかも全く分からないまま、ただコトの成り行きをだまって見守るしかなく、誰かが女の子を中傷したのかしら、と思ってみたり、誰かが起こした喧嘩の原因について話し合っているのかしら、と想像してみたり・・・。
けれどいくら待っても事態はちっとも変わらず、変わらないどころか次々と他の子ども達まで泣き出す始末。アテテスも深刻な顔をしてそれぞれの子の話を聞いている。
そんな状態が、1時間、2時間・・・と続いた。
何ひとつ訳が分からないまま、私はその場の緊張した雰囲気や、彼/彼女たちの表情をじっと見つめていた。
そして何故かこんなことを思っていた。
“きっと、私が今まで当たり前にやってきたことは本当はものすごく恵まれたことで、その中で今の自分がつくられたという事実は、本当は奇跡に近いほど有難いことなんだろうな。”
ワークショップ終了後、夕飯を食べながらアテテスが言った。
「それにしてもビックリしたわよ。全員が泣き出すなんて。」
「なんで泣いてたの?」
「私が質問したのよ、“自分を最も脅かしてるものは何か?” “何が一番怖いか?”ってね。そしたら次々と泣き出しちゃったの。」
例えばある男の子は家族を失うのが怖いと言った。
小さい頃に母親が家出をし、2人の兄弟は病気で亡くなり、唯一残った兄も数年前に結婚して家を出た。今は闘病中の父親の世話をしながら学校帰りにタクシーを洗って一日300円ほどの稼ぎで生活している。
これ以上、ひとりぼっちになりたくない、と。
また別の子は、兄が買ってきたお酒でホームパーティをしたときに父親と2人の兄貴が喧嘩をし、止めに入った母親を思い切りぶったという話。その光景がトラウマとなって彼を脅かしている。
また別の女の子は、自分がどんなにがんばって働き、どんなにがんばって勉強しても関心を示してくれない父親の話。更に親戚からレイプされたことを打ち明けた時でさえ、父親は守ってくれなかったという。
フィリピンに限らずきっと日本でも、たくさんの子ども達が同じように辛い思いを胸にしまい込んで生きている。
ただただ願うのは、そうした深い傷を少しでも“声”に出し、共有できる機会が彼らに与えられることだ。
例えば自分の感情を涙に込めて流せたり、 例えば複数の人が自分の話に耳を傾けていて、また自分も他の人の話を聞いて比較できたり、 例えば信頼できるリーダーに行動や考え方を導かれたり・・・。
そうした私が当たり前にできてきたことが、彼らには決して当たり前に用意されていないのだ。
パヤタスのゴミ山に佇む診療所で、28日、ふたつ目のワークショップが開かれた。
やってきたのは、マニラ郊外の児童施設で暮らす元ストリートチルドレンの子ども達。
ファシリテーターのマイエンが聞いた。
「子どもの権利って何だと思う?」
「教育を受ける権利」
「家族に愛される権利」
「名前をもつ権利」
何年も路上で暮らしていた彼らから出てくる言葉は、どれもずっしりと重たい。
「ずっと汚いもの扱いされてきた。路上にいた頃は、まるで人間じゃないみたいだったよ。」
「今は仲間がいる。施設に入って、やっと思いやりとか愛を感じられるようになった。僕は幸せ者だよ。」
「離ればなれになった家族のことをたまに思い出すんだ。将来はちゃんと一緒にいられる家族をつくりたい。」
子どもを育てるのは、“環境” 。
回りの人や家族、出会い、境遇、そういったものが人をつくる。
そしてそれらがまた人を変え、未来をつくっていくのだ。
18歳のロレット君が言った。
「施設に連れて行かれた時、はじめはすぐに逃げ出そうと思ってたんだ。でもしばらくして考えるようになった。どうしてこの人たちは、自分にこんなにも優しくしてくれるのか。それで神様のこととか、祈り方を教えてもらうようになったんだ。」
「今はこう思うよ。貧しい人も神様がつくったものなんだ。僕らがどんな生き方をするのかを、神様はちゃんと見ている。それに、貧しく生まれたから、どん底から這い上がることも経験できたんだ。全部、僕に与えられた試練だよ。」
彼がどんなに辛い思いをしてきたのかを想えば想うほど頭が上がらない。頭が上がらないどころか、ささいなことにも不満ばかり並べてきた自分の至らなさを、私は心から恥ずかしく思った。
この世に生まれたことに感謝すること。
どんなに辛くても前を向いて歩くこと。
私たちが彼らに教わるべきことは、あまりに大きい。
まずは “声” に出すことだ。それを促し、聞き合い、思いを共有することから変化は生まれる。
彼らにも、私たちにも。
そうした機会とそこから生まれる小さな変化が、今後少しずつ増えることを願っている。
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