夜10時すぎ、小さな産声が響いた。
元気な男の子だった。
産まれたのは5畳ほどしかない本当に小さな一軒の家で、助産経験の豊富な2人のボランティアと、旦那、そして妊婦の母親が付き添っていた。
22歳の若い妊婦は、横になったり立ち上がったりを何度も繰り返した後、ただ無造作に敷かれた新聞紙とビニールの上に大きな腰を降ろして“その時”を待っていた。
予定時間から2時間。
赤ん坊が顔を出すまでのその時間は、果てしなく長いように私には感じられた。
途中、しびれを切らした妊婦が旦那のつくったご飯を口にする。
私たちも一緒に、妊婦の隣で食事をとった。
妊婦がウロウロと歩き始め、そのままトイレに入って用を足す。
「私なんて誤って便器の中に産んじゃったのよ!」
母親が笑いながら話し、回りがどっと沸く。
果たして本当にここで赤ん坊なんて産まれるんだろうか?
私はふいに夢でも見ているような妙な気分にかられた。
そもそも「今夜8時に産まれる」というのは、ボランティアのアテアミが言い出したことだ。
経験が豊富とはいえ、たまには間違うこともあるに違いない。
その証拠に、妊婦はうなり声ひとつあげずにウロウロと歩き回っているじゃないか。
もしくは・・・、と私は思った。
私の緊張や、いきなり外国人が立ち会うことになった不運を、妊婦と腹の中の赤ん坊が敏感に察しているのかもしれない。だとしたら、ここは早めに去るべきなのか・・・。
妊婦の顔は真剣そのもので、たまに苦しそうに眉をひそめながら、大きく膨れた腹を上から下へとさすり続けていた。
旦那が状況を見兼ねて、突然妊婦の元に飛び込んできた。
枕元に座り込み、一緒にゆっくりと腹をさする。
一応のベッドルームらしきその空間はすぐ隣のキッチンと薄っぺらい壁で仕切られていて、私の位置からは中がよく見えない。ただ妊婦の足元とビニールが敷かれた赤ん坊のための小さなスペースが、薄暗い中にぼんやりと見えるだけだ。
“それにしても、なんて羨ましい妊婦だろう・・・。”
私はその足元を見つめながら思った。
旦那に腹をさすられながら、寄りかかりながら、一緒に子どもを外の世界に送り出す出産・・。
それは私が想像していた孤独な出産シーンとは違って、すごく安心できる、ほのぼのとした人生の一大イベントだった。まるで結婚式か何かのような、2人で通過する“登竜門”のような。
“これだったら、子どもを産むのも楽しみに変わるかも。”
「もうすぐよ!」
アテアミが興奮を押さえながら私に合図を送った。
“出口” は大きく開かれ、中で何かが押し出されようとしている様子が伝わってきた。
けれどたまにかすかな声をあげるのは旦那の方で、妊婦は全く痛々しい声をあげない。
そのことが逆に私を混乱させ、目の前で繰り広げられていることに私は未だ実感がもてずにいた。
「出るよ、出る!」
私の帰りを心配して迎えにきてくれたNGOのスタッフが、オロオロしている私に声をかけた。
「早く!!カメラ!!!」
カメラを抱え、急いで妊婦のもとに駆け寄る。この瞬間を収められなければ待った甲斐がない。立ち会いを許してくれた家族にも向ける顔がなくなる。
「え?あれ?うそ、ちょっと待って・・・!!」
けれど、私は突如として焦った。頭が見えはじめてから全身が出るまで、なんと1分とかからない。
赤ん坊はスルリと“出口”を通り抜け、あっという間に外界に現れてしまったのだ。
「ビデオ!ビデオ・・・!!」
バタつく私を横目に、アテアミはまだ白っぽい赤ん坊の足を掴んで逆さにし、お尻をペチペチと2回叩いた。
「ギャ・・・、オギャア~~!!!!!」
赤ん坊が、甲高い泣き声をあげた。
大きく息をし、“生まれた”ことを証明する感動的な泣き声だった。
“子どもを産む” ということは、何も特別なことじゃない。
だけどきっと、母親は子を世に送り出すまでの数十分または数時間のうちに何かを想い、もしくは願い、言葉にならない真空のキモチをその子に託して最後の力を振り絞る。
その大切な時間を家族と共有できるか否か、もしくはどう共有するかは、結構大事な選択肢だと思えて仕方がない。
自宅での出産が、もっと一般的な選択肢になってもいいんじゃないかと、思う。
私が産むときには、どうしよっかなぁ。
少なくとも、孤独な出産だけはしたくない。
ゴミ山の貧しい家で偶然立ち会ったこの世で最もシンプルな出産シーンは、今までビビっていた “出産”への私の気持ちを、意外にもやわらかく前向きにしてくれたのだった。
元気な男の子だった。
産まれたのは5畳ほどしかない本当に小さな一軒の家で、助産経験の豊富な2人のボランティアと、旦那、そして妊婦の母親が付き添っていた。
22歳の若い妊婦は、横になったり立ち上がったりを何度も繰り返した後、ただ無造作に敷かれた新聞紙とビニールの上に大きな腰を降ろして“その時”を待っていた。
予定時間から2時間。
赤ん坊が顔を出すまでのその時間は、果てしなく長いように私には感じられた。
途中、しびれを切らした妊婦が旦那のつくったご飯を口にする。
私たちも一緒に、妊婦の隣で食事をとった。
妊婦がウロウロと歩き始め、そのままトイレに入って用を足す。
「私なんて誤って便器の中に産んじゃったのよ!」
母親が笑いながら話し、回りがどっと沸く。
果たして本当にここで赤ん坊なんて産まれるんだろうか?
私はふいに夢でも見ているような妙な気分にかられた。
そもそも「今夜8時に産まれる」というのは、ボランティアのアテアミが言い出したことだ。
経験が豊富とはいえ、たまには間違うこともあるに違いない。
その証拠に、妊婦はうなり声ひとつあげずにウロウロと歩き回っているじゃないか。
もしくは・・・、と私は思った。
私の緊張や、いきなり外国人が立ち会うことになった不運を、妊婦と腹の中の赤ん坊が敏感に察しているのかもしれない。だとしたら、ここは早めに去るべきなのか・・・。
妊婦の顔は真剣そのもので、たまに苦しそうに眉をひそめながら、大きく膨れた腹を上から下へとさすり続けていた。
旦那が状況を見兼ねて、突然妊婦の元に飛び込んできた。
枕元に座り込み、一緒にゆっくりと腹をさする。
一応のベッドルームらしきその空間はすぐ隣のキッチンと薄っぺらい壁で仕切られていて、私の位置からは中がよく見えない。ただ妊婦の足元とビニールが敷かれた赤ん坊のための小さなスペースが、薄暗い中にぼんやりと見えるだけだ。
“それにしても、なんて羨ましい妊婦だろう・・・。”
私はその足元を見つめながら思った。
旦那に腹をさすられながら、寄りかかりながら、一緒に子どもを外の世界に送り出す出産・・。
それは私が想像していた孤独な出産シーンとは違って、すごく安心できる、ほのぼのとした人生の一大イベントだった。まるで結婚式か何かのような、2人で通過する“登竜門”のような。
“これだったら、子どもを産むのも楽しみに変わるかも。”
「もうすぐよ!」
アテアミが興奮を押さえながら私に合図を送った。
“出口” は大きく開かれ、中で何かが押し出されようとしている様子が伝わってきた。
けれどたまにかすかな声をあげるのは旦那の方で、妊婦は全く痛々しい声をあげない。
そのことが逆に私を混乱させ、目の前で繰り広げられていることに私は未だ実感がもてずにいた。
「出るよ、出る!」
私の帰りを心配して迎えにきてくれたNGOのスタッフが、オロオロしている私に声をかけた。
「早く!!カメラ!!!」
カメラを抱え、急いで妊婦のもとに駆け寄る。この瞬間を収められなければ待った甲斐がない。立ち会いを許してくれた家族にも向ける顔がなくなる。
「え?あれ?うそ、ちょっと待って・・・!!」
けれど、私は突如として焦った。頭が見えはじめてから全身が出るまで、なんと1分とかからない。
赤ん坊はスルリと“出口”を通り抜け、あっという間に外界に現れてしまったのだ。
「ビデオ!ビデオ・・・!!」
バタつく私を横目に、アテアミはまだ白っぽい赤ん坊の足を掴んで逆さにし、お尻をペチペチと2回叩いた。
「ギャ・・・、オギャア~~!!!!!」
赤ん坊が、甲高い泣き声をあげた。
大きく息をし、“生まれた”ことを証明する感動的な泣き声だった。
“子どもを産む” ということは、何も特別なことじゃない。
だけどきっと、母親は子を世に送り出すまでの数十分または数時間のうちに何かを想い、もしくは願い、言葉にならない真空のキモチをその子に託して最後の力を振り絞る。
その大切な時間を家族と共有できるか否か、もしくはどう共有するかは、結構大事な選択肢だと思えて仕方がない。
自宅での出産が、もっと一般的な選択肢になってもいいんじゃないかと、思う。
私が産むときには、どうしよっかなぁ。
少なくとも、孤独な出産だけはしたくない。
ゴミ山の貧しい家で偶然立ち会ったこの世で最もシンプルな出産シーンは、今までビビっていた “出産”への私の気持ちを、意外にもやわらかく前向きにしてくれたのだった。