少数民族が暮らす小さな村にエコツーリズムを!という目的で各地域を巡回している、私たち「The Heart of Borneo」プロジェクトチーム。
しかしもっと具体的に説明すると、まず目標として掲げているのは、各地に「テレセンター」という名の情報拠点をつくることだ。つまり、インターネットができる場所を村の中心につくろう、というわけ。
・・・え?
どうして昔ながらの生活をしてる人たちにインターネットが必要なの??
とつい思ってしまいがちだが、なんとその意外性こそが “ポイント” なのであります。
つまりこういうこと。
ジャングルの中に人知れずたたずむ小さな村ほど公的サービスや教育が行き渡りにくく、“時代遅れ” な感染病や不衛生な生活環境を改善できずにいる。
↓
衛星を使ったインターネットで外界とのつながりができれば、村の人は容易に情報を得ることができる。
↓
政府も保健/教育などの公的支援をしやすくなる。
というわけだ。
インドネシアのMalinau(マリナウ)という村で活動しているWWFのドイツ人スタッフは言った。
「ウチの優秀なスタッフの中にも、一体どうしてジャングルの僻地にインターネットが必要なのか、このプロジェクトのメリットを疑う人がいるわ。そういう人にはこう言ってやるのよ。もし、私が村の人とコンタクトをとらなきゃいけないときに、いちいち手紙を書いて、それを届けてくれる人を探して、一日かけて届けてもらって、更に一日かけて返事をもらう、そんなこと今どきやってられる?ってね。」
10年ほど前、Barioに変化をもたらしたのが「テレセンター」だった。
「eBario」という名のそのプロジェクトでは、村の中心にインターネットカフェのような部屋をつくり、事務所を構え、政府筋を呼んでセレモニーを開き、その延長線上で少しずつ観光客用のホームステイが整備されていった。
今ではヨーロッパを中心に口コミでBarioの名が広がり、村で観光客の姿を見ることは全く珍しいことではない。
(観光客は年800人ほど。私が訪れたホームステイ先で月平均10人ほどで、2週間の滞在中に村で出会った欧米人は5人だった。・・・商店街さえないような小さな村での話である。)
同じくサラワク州でジャングルの真っただ中にある村 Meringau(マリンガウ)。
テレセンターはまだなく、まさにこれからその設置にむけて調査が始まろうとしている。
「村一番の問題は貧困です。コミュニティ全体がとても貧しいのです。」
退職後に村に戻り農業を始めたDavid氏は言った。
「小学校は近くにありますが、それ以上になれば若者は街に出て教育を受け、仕事を探します。勉強せずに仕事にありつけなかった落ちこぼれだけが村に戻り、酒を飲んではたむろするようになっているのです。」
村にテレビのアンテナはあるようだが、実質、主な情報源はラジオのみだという。
私が村に到着したときにも、10人ほどの若者が何をするでもなく教会の前にたむろし、外国人の私を物珍しげに眺めては手を振っていた。
このプロジェクトの主要メンバーであり、僻地での観光ホームステイを研究・推進しているDr. Roger(ロジャー博士)は言う。
「昔はリッチな人がインターネットを使うことができた。でもこれからはその反対が大事なんだ。つまり、リッチになるためにインターネットを使う。特に情報が乏しいこういった僻地では、健康面でも収入面でも文化を受け継いでいくためにも、インターネットを導入して、さらに使いこなせるように村人をトレーニングしていくことが必要なんだよ。」
都市部を中心に全てが発展してきた陰で、農業や環境や文化といったアナログな分野では、どの地域でも多くの問題が負の連鎖によって悪循環をくりかえしている。
特にジャングルに囲まれた僻地では、特有の文化が残る一方で、村自体の存続さえ危うい状況に追い込まれている地域も少なくない。
David氏の言葉が胸を突いた。
「私たちは村の回りにあった森を奪われ、河を汚され、獲物もいなくなって、代わりにもらったものはトラックが走った後の埃だけです。」
連鎖を好転させるには、どうしたらいいのか?
インターネットやテクノロジーに少しでもその可能性があるとしたら、それらが成熟しつつある今こそ、まさに時代の変わり目に違いない。
森林の伐採や生物資源を利用する代償に、政府や企業がインターネット環境を整備すること。もしくはNGOなどがそれを支援すること。それによって村人が、今の時代に必要なIT技術を身につけ、自ら仕事を生み、外界から公的サービスや人を呼び寄せることも可能になること。・・・それは間違っても “マイナス” じゃない。
モノゴトは少しずつゆっくりとシフトする。
10年前にスタートした「eBario」でも、インターネットへの接続は未だあまりに遅くて居眠りできてしまうほど。
・・・根気強く、少しずつ、あきらめずに続けることが大切なんだろうと思う。
そうして、村に住む人々が、少しでも希望をもって自分たちの生活や文化を受け継いでいってほしいと祈っている。
しかしもっと具体的に説明すると、まず目標として掲げているのは、各地に「テレセンター」という名の情報拠点をつくることだ。つまり、インターネットができる場所を村の中心につくろう、というわけ。
・・・え?
どうして昔ながらの生活をしてる人たちにインターネットが必要なの??
とつい思ってしまいがちだが、なんとその意外性こそが “ポイント” なのであります。
つまりこういうこと。
ジャングルの中に人知れずたたずむ小さな村ほど公的サービスや教育が行き渡りにくく、“時代遅れ” な感染病や不衛生な生活環境を改善できずにいる。
↓
衛星を使ったインターネットで外界とのつながりができれば、村の人は容易に情報を得ることができる。
↓
政府も保健/教育などの公的支援をしやすくなる。
というわけだ。
インドネシアのMalinau(マリナウ)という村で活動しているWWFのドイツ人スタッフは言った。
「ウチの優秀なスタッフの中にも、一体どうしてジャングルの僻地にインターネットが必要なのか、このプロジェクトのメリットを疑う人がいるわ。そういう人にはこう言ってやるのよ。もし、私が村の人とコンタクトをとらなきゃいけないときに、いちいち手紙を書いて、それを届けてくれる人を探して、一日かけて届けてもらって、更に一日かけて返事をもらう、そんなこと今どきやってられる?ってね。」
10年ほど前、Barioに変化をもたらしたのが「テレセンター」だった。
「eBario」という名のそのプロジェクトでは、村の中心にインターネットカフェのような部屋をつくり、事務所を構え、政府筋を呼んでセレモニーを開き、その延長線上で少しずつ観光客用のホームステイが整備されていった。
今ではヨーロッパを中心に口コミでBarioの名が広がり、村で観光客の姿を見ることは全く珍しいことではない。
(観光客は年800人ほど。私が訪れたホームステイ先で月平均10人ほどで、2週間の滞在中に村で出会った欧米人は5人だった。・・・商店街さえないような小さな村での話である。)
同じくサラワク州でジャングルの真っただ中にある村 Meringau(マリンガウ)。
テレセンターはまだなく、まさにこれからその設置にむけて調査が始まろうとしている。
「村一番の問題は貧困です。コミュニティ全体がとても貧しいのです。」
退職後に村に戻り農業を始めたDavid氏は言った。
「小学校は近くにありますが、それ以上になれば若者は街に出て教育を受け、仕事を探します。勉強せずに仕事にありつけなかった落ちこぼれだけが村に戻り、酒を飲んではたむろするようになっているのです。」
村にテレビのアンテナはあるようだが、実質、主な情報源はラジオのみだという。
私が村に到着したときにも、10人ほどの若者が何をするでもなく教会の前にたむろし、外国人の私を物珍しげに眺めては手を振っていた。
このプロジェクトの主要メンバーであり、僻地での観光ホームステイを研究・推進しているDr. Roger(ロジャー博士)は言う。
「昔はリッチな人がインターネットを使うことができた。でもこれからはその反対が大事なんだ。つまり、リッチになるためにインターネットを使う。特に情報が乏しいこういった僻地では、健康面でも収入面でも文化を受け継いでいくためにも、インターネットを導入して、さらに使いこなせるように村人をトレーニングしていくことが必要なんだよ。」
都市部を中心に全てが発展してきた陰で、農業や環境や文化といったアナログな分野では、どの地域でも多くの問題が負の連鎖によって悪循環をくりかえしている。
特にジャングルに囲まれた僻地では、特有の文化が残る一方で、村自体の存続さえ危うい状況に追い込まれている地域も少なくない。
David氏の言葉が胸を突いた。
「私たちは村の回りにあった森を奪われ、河を汚され、獲物もいなくなって、代わりにもらったものはトラックが走った後の埃だけです。」
連鎖を好転させるには、どうしたらいいのか?
インターネットやテクノロジーに少しでもその可能性があるとしたら、それらが成熟しつつある今こそ、まさに時代の変わり目に違いない。
森林の伐採や生物資源を利用する代償に、政府や企業がインターネット環境を整備すること。もしくはNGOなどがそれを支援すること。それによって村人が、今の時代に必要なIT技術を身につけ、自ら仕事を生み、外界から公的サービスや人を呼び寄せることも可能になること。・・・それは間違っても “マイナス” じゃない。
モノゴトは少しずつゆっくりとシフトする。
10年前にスタートした「eBario」でも、インターネットへの接続は未だあまりに遅くて居眠りできてしまうほど。
・・・根気強く、少しずつ、あきらめずに続けることが大切なんだろうと思う。
そうして、村に住む人々が、少しでも希望をもって自分たちの生活や文化を受け継いでいってほしいと祈っている。
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