アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

熱帯雨林へようこそ

2008-03-17 | ボルネオの旅(-2009年)
クアラルンプールの中心部から車で1~2時間ほどの郊外に、通称 FRIM(フリム)と呼ばれる熱帯雨林の研究機関がある。
友人のアンソニー君が「急遽大切な会議が入った!」と言うのでそのまま着いて来た。

FRIMの広大な敷地には、コースによって30分~3時間かけて歩ける熱帯雨林のトレッキング道がある。スタッフによればその森は原生林ではなくニ次的に(もしくは人工的に)つくられたものらしいのだが、森の様相、例えば樹々の高さや太さ、種類の多さ、草、ツタ類などは原生林を思わせるほどに素晴らしく、「鬱蒼と」している。


森を歩いて数分、あることに気付いた。

やけに騒がしい、のだ。


足を止めると更に四方八方からいろいろな音が聞こえてくる。

  ジィージィー

   ピッピッピッピ

    ザーーーーーーー

      フィ~イッ


そういえば7年前に熱帯雨林の研究に訪れたとき、何より1番驚いたのは次から次へと寄ってくる「虫」の種類だった。ただひとつとして同じ顔ぶれはなく、特に虫好きではない私でも、そのカラフルさと奇妙な姿形に、気持ち悪さを超えてじぃーっと見入ってしまった。

そうだ、熱帯雨林というのは「うるさい」ところなのだ。

様々な虫の音(しかも大きい!)に加え、いろいろな鳥があちらこちらでさえずる。
頭上を覆う巨木たちは風に木の葉を揺らす。
そしてこうした森の音が、そこに棲む生き物の豊かな世界を想像させてくれる。

ちなみに「樹冠」と呼ばれる森の天井は、同じ背丈の樹々がお互いに縄張りを張るように枝を伸ばし合ってつくられ、下から見ればちょうどパッチワークのような綺麗な模様を見ることができる。それは限りある太陽の光をお互いが効率よく分け合う方法であり、同時にその隙間から注がれる木漏れ日を幼木に分け与える方法でもある。
誰が仕向けたわけでもないそうした自然のシステムを、植物は長い年月の中で作り上げてきたのだ。


私は自分を囲んでいる大小の樹々をぐるっと見渡しながら何度も大きく息をした。

ここにどれほどの生き物が潜んでいるのか。
この地下に、どれほどの水が蓄えられているのか。
この一面の緑は、一体どれほどの酸素を放出しているのか。
ここでどれほど多くの生と死が繰り広げられ、それがどれほど長い間続けられてきたのか。

私たちは、たとえどんなに遠くに暮らしていても、必ず熱帯雨林の恩恵を受けて生きている。

あなたがいるから、私がいるー。
自然界で保たれている生き物同士のそんな微妙なバランスは、地球規模で考えても同じこと。
どこかが大きく崩れれば、必ず全体が崩れてしまうのだ。

だから、貴重。
だから、私たちは森を簡単に壊しちゃいけない。


写真を撮りながらゆっくりと歩く私の腕は、既に何十もの蚊に刺された痕で赤く腫れ上がっていた。袖の長いシャツは一応持ってはいたものの、迂闊にも七分袖だったのだ・・・。
次回は長~い袖のシャツを持参しようっと。
心も身体も、もっと緑で満たされるように。


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