アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

モスクなアジア

2008-03-16 | ボルネオの旅(-2009年)
ここはマレーシアの首都・クアラルンプール。
人口の6割近くがイスラム教徒の国。

空港に降り立てば、頭から黒や白や色とりどりの布をかぶった女性が目立つ。
服は全身ずっぽりと緩いワンピース。これは特にイスラム教徒じゃなくてもマレーシアの正装みたいなものだ。

友人に連れられて行った先は、ピンク色の可愛い大きなモスクだった。
このモスクだけは、イスラム教じゃない観光客でも中に入って見学できるという。

ただし、純真なキリスト教徒である私の友人は
「僕は入れないから外で待ってるよ。」
とのこと。

一人よそよそと中に入り、これまたピンク色の ”観光客用” ムスリム羽織(?)を着る。
ゲートをくぐった先のすぐ左手側にその羽織は用意されてあって、いかにも着回している感じのあまり綺麗とはいえないそれらが、衣紋掛けに無造作にかけられているのだった。

中では本物のイスラム教徒が数人、床に額を押し当てながらお祈りをしている。観光客は境内では自由に動くことができるけれど、祈りの場である建物の中に入ることはできない。
私以外の観光客らしき人たちもまた、物珍しそうに中の様子を観察していた。


アメリカの9.11事件以来、「宗教対立」という言葉が目につくようになった。
特にイスラム教 VS キリスト教。
どちらもが相手を敵視して、その両者は絶対に混じり得ないような、そんなイメージをもってしまう。
日本では、その実情はなかなか分からないし、そうした人達の気持ちや感覚も分かりにくい。

ここマレーシアでは、確かにイスラム教徒が大半ではあるものの、キリスト教徒も仏教徒もヒンドゥー教徒も混ざっている。それぞれがそれぞれの信じるスタイルで、お互いに干渉することなく暮らしているように見える。
街にはモスクもあれば教会もあり、お寺もひっそりと建っている。

こうやって、ひとつの国にいろんな宗教があることの方が、世界的にみれば “フツウ” なんだろう。

ある人は他宗教のことを良く思っていないかもしれない。
けれどある人は、そんなことは全く気にせずに誰とでも友達になれるかもしれない。

私の友人だって、キリスト教徒ではあるけれどこうして快く私をモスクに案内してくれるし、別のイスラム教徒の友達だって、キリスト教のことを悪く言ってなんかいないもの。


日常的に自分とは別の宗教を信じる人と毎日顔を合わせる環境で、「宗教対立」なんて言葉は意味を成さないような気さえする。保守的な人、排他的な人、内心では全く受け入れられない人もたくさんいるだろうけれど、多宗教の日常というのは、少なくとも日本で想像するものより穏やかであることは間違いないと思う。

みんな “フツー” に生きてるんだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿