アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

宮城のお母ちゃんに出会うの巻。

2012-03-15 | 災害ボラ活動

先週、久しぶりに宮城県に行きました。

 

1年忌だからという訳ではなく、再びご縁をいただいたから。

以前ボランティアしていたRQの仲間からビデオ撮影を頼まれて、「よっしゃ!」ってことになったのです。

あれから随分長い間「充電切れ」の状態だったけど、さすがに充電は完了。
しかも今回は、いま流行りの「プロボノ」ってやつ。つまり専門分野でボランティア=“積極的”タダ働きなのあります。

 

 

8ヶ月ぶりの被災地は、まず、そのあまりの変わってなさに驚いた。

正直、これほど変わってないとは思わなかったから。

 

現地コーディネイトをしてくれた仙台出身のAさんが、運転しながら何度もつぶやいた。

「なんでこんなことになったんやろうねぇ…」

「私ら何か悪いことしたんやろうか…」

「今でも、朝起きたら全てが悪い夢だった…なんてことにならないかって思うのよね」

 

1年も経った今になって、そうした言葉が彼女の口から出てくることに私は戸惑っていた。
1年前は、あんなにハツラツと走り回っていたのに。 

「大地震が来ることは想定していたんだけど…、第一、以前はこんなに海が近いなんて知らなかったのよ。間に建物がいっぱいあったから」

そうか、思えばそりゃそうだ。街中でさえこんなに視界が広いなんて、フツーじゃない。

凄絶な景色やモノにばかり気を取られていた1年前と違い、妙な違和感を感じるのはソコだったんだ、と納得した。 

そしてここに暮らす人達は、正気を取り戻すにつれその妙な風景が痛く、深く沁みていくんだろうなぁ、ということも。 

 

彼女をはじめ、RQの一部の人たちは「RQ被災地女性支援センター(通称RQW)」という別団体をつくって活動している。

仮設住宅に住む女性に毛糸や端切れ布を提供し、皆が集まってワイワイ手作りする場をつくること。また地域によっては、RQWが考案した商品を編んでもらって販売すること。—そうしたことを支援の柱にしている。

 

RQWの詳細は明日のビデオ編集に託すとして、ここでは現地での「出会い」をひとつ。

 

 

この海の真向かい(写真を撮っている位置)に、高橋さんのお宅はある。

本当に堤防のすぐ傍、海から30mほどしか離れてないところに家を再建したそうな。
高台にはなっているものの、高潮になると家の前の道が冠水してしまう程の場所。
そこで2人の息子と仮設住宅から呼び寄せた両親の6人で、細々と漁業を再開している。

 

その高橋さん家族に、私はAさんの紹介でインタビューさせてもらうことになった。

 

「今ほしいのは、モノじゃなくて知恵なんですよ」

「25年間積み上げてきたものが全部なくなった。それをいかに早く取り戻すか。そのためには、お金も必要だけど、前に進むための力、エネルギーが要るんです」

「海を離れるっていう選択肢も考えたんですよ。でも被災してすぐに家族で話し合ってね、そしたら父ちゃんが「漁業以外に俺は使いもんにならん」って言ったの」

 

後継ぎの息子さんからも、母の和子さんからもたくさんの言葉があふれた。その9割9分はビデオに収められないタイミングで私は悔し涙をのんだのだけれど、そんなことは取るに足らない些細なこと。

なぜって、このタイミングで撮影できなくても、私は必ずまたココに来るな、と予感できたから。

こういう直感はとっても大事。

 

つまり私は高橋さん一家との出会いによって、「ボランティア」としてではなく、「仕事」としてでもなく、ただ彼らに会いに再びここに来たいと思えるようになった。

多分、ここに残って活動している長期ボラの人たちや、毎月通ってきているリピートボラの人たちも、同じ「出会い」によって自然と足が向いているんだろうと思う。

 

「ボランティアって何?」とよく聞かれる(もしくは聞いているのを聞く)けれど、それはねぇ、独りでやり続けられるものでは決してないと思う。

もちろん、古き良き社会奉仕活動でもなければ、偽善…じゃなかった慈善活動でもない。

英語のVolunteer=自ら挙手して行う活動というのが正しいといえば正しいのだろうけれど、それだけでもない気がする。

 

今の自分の感じからいえば、「人との関わりにおいて心が動かされて自ら行動すること」みたいな感じかなぁ…。

心が動かされる誰かとの出会い、心が動く自分の感性、そして自ら行動できる状況、そういったものが合わさって初めて成し得るんじゃないかと思うの。

少なくとも正義感だけでは私には無理…と思う。激しく必要性に駆られた初期の災害ボラを除いては。 

 

だから今回は「出会っちゃったなぁ~」と、ちょっぴり複雑な幸福感を胸に抱きながら帰ってきたのであります。

今年は再び、夜行バスに揺られる日が増えるかもね~。

 

それでも早く宮城のお母ちゃんに会いに行きたいと思っている私は、やはり幸せ者なのだ☆ 

 

 


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