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「文人荷風抄」表紙絵
昨日の追加情報 荷風の養子の永井永光の死亡記事がネットにあった
荷風も心猿も永光も亡くなった 荷風・心猿シリーズも終わり時だろう
今日から 荷風には珍しく仲違いしなかった人物で締め括りたい
たぶん 3回ほどの予定(今日の写真は再掲が殆ど)
【相磯凌霜】
相磯は神田一ツ橋生まれ 少年時代には地元の句会に入っていた
中学を出て米国へ遊学 帰国後 銀座の商事会社に就職
取引先との付き合いで 築地の清元の稽古場に通った
荷風も一時期江戸趣味に凝っていて どうやらそこで顔を見知ったという
その後 言葉を交わすようになり 偏奇館にも繁く出入りした
のちに墨田区に本社がある新井鉄工所の重役となった(時期不明)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/b8/024f5ea8eeeb30cb6f5c417c36be72d3.png)
相磯は 戦後に熱海の五叟宅に寄寓していた荷風を訪ねてもいる
荷風の「日乗」では 手作りの料理携えて愛人"小星"(読み不詳)同伴・・・
その頃 相磯の本宅は現大田区の池上本門寺の近くにあった(戦後は茅ケ崎)
荷風が市川に住んでから 相磯は海神に別邸を建て愛人を住まわせた
そして 相磯はその場所を荷風に自由に使わせ 自らもよく世話をした
(別邸は その後なぜか閉鎖して使わなくなった)
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相磯自身 読書家・蔵書家で「荷風思出草」「荷風余話」などを書いた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/73/1b407eb8404521833561b9c4bba830dd.jpg)
彼は荷風の秘書役・相談役も兼ね 彼の葬儀を一切取り仕切った
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/fa/f99fa1940b81c09ca79c145084bbd4ec.jpg)
後列中央が相磯勝弥(凌霜)
今日はここまで 明日は写真後列左端の小堀杏奴のことを書く
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]