遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

荷風を巡る人たち~星霜移り人は去り#2

2024年04月15日 | 人物
 「文人荷風抄」表紙絵


荷風も心猿も永光も亡くなった 荷風・心猿シリーズも終わり時だろう
今日から 荷風には珍しく仲違いしなかった人物で締め括りたい
たぶん 3回ほどの予定(今日の写真は再掲が殆ど)

【相磯凌霜】
相磯は神田一ツ橋生まれ 少年時代には地元の句会に入っていた
中学を出て米国へ遊学 帰国後 銀座の商事会社に就職
取引先との付き合いで 築地の清元の稽古場に通った

荷風も一時期江戸趣味に凝っていて どうやらそこで顔を見知ったという
その後 言葉を交わすようになり 偏奇館にも繁く出入りした
のちに墨田区に本社がある新井鉄工所の重役となった(時期不明)

 

相磯は 戦後に熱海の五叟宅に寄寓していた荷風を訪ねてもいる
荷風の「日乗」では 手作りの料理携えて愛人"小星"(読み不詳)同伴・・・ 
その頃 相磯の本宅は現大田区の池上本門寺の近くにあった(戦後は茅ケ崎)

荷風が市川に住んでから 相磯は海神に別邸を建て愛人を住まわせた
そして 相磯はその場所を荷風に自由に使わせ 自らもよく世話をした
(別邸は その後なぜか閉鎖して使わなくなった)



相磯自身 読書家・蔵書家で「荷風思出草」「荷風余話」などを書いた



彼は荷風の秘書役・相談役も兼ね 彼の葬儀を一切取り仕切った


後列中央が相磯勝弥(凌霜)

今日はここまで 明日は写真後列左端の小堀杏奴のことを書く
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]