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前田家別邸
東京での卓と槌の姉妹の人生、情報不足で先へ進めなくなった
「草枕」の世界でしか追いかけていなかったからだろう
前姉妹の父・前田案山子自身 自由民権の活動家だった
案山子の詳細な年譜が見つかったので 時代を遡って摘記する
1828/文政11 熊本玉名小天村の豪農前田家の3男として生まれる 名は覚之助
1852/嘉永05(25) 家督相続 藩主に召抱えられる
1854/安政01(27) 永山鶴平長女キヨと結婚
1868/M01(41) 案山子と名乗る 民衆の保護・民権拡張を自らの任とする
1876/M09(49) 県会議員に選ばれる
・・・この時期 農民一揆や西南戦争が起こり 案山子は官民の調停等行う・・・
1880/M13(53) 各地で演説会を開催し 九州の民権家と交流
1882/M15(55) 大阪立憲政党から派遣の岸田俊子の遊説演説会を援助する
前田家別邸の演説会では 12歳の槌も演説した
この年には中江兆民らも訪れ 前田家別邸に宿泊
1887/M20(60) 卓(19) 高道村の植田耕太郎と結婚
1888/M21(61) 卓(20) 植田耕太郎と離婚
1889/M22(62) 大日本帝国憲法発布
(滔天が槌と出合う) このリンク先は面白かった
1890/M23(63) 第1回衆議院選挙に当選
1891/M24(64) 槌(20) 宮崎滔天と結婚
1892/M25(65) 第2回衆議院選挙に立候補せず
1893/M26(66) 卓(26) 山崎町出身の永塩猪太郎と同棲(M29-30頃離別)
1897/M30(70) 漱石が友人と小天湯の浦前田家別邸に滞在(卓を知る)
1898/M31(71) 漱石が友人らと再訪
1901/M34(74) 前田家お家騒動勃発 親子兄弟が2派に分れて争った
本家を長男下学が継ぎ 他妹弟は案山子に従い分家した
(下学は東京へ移住)
1904/M37(77) 案山子没する
1906/M39 漱石「草枕」を出版
この年譜等から今まで知らなかったことが分かった
槌12歳の演説 滔天やイサクや孫文 卓の結婚・同棲相手の人物名
前田家の相続を巡る分裂騒動等々である
ただ 案山子の年譜には植田耕太郎と永塩猪太郎と2人しか出て来ない
Wikipediaにも1904/M37年軍人の加藤錬太郎と結婚 1年で離婚・・・とある
「草枕」の"野武士"のモデルは誰なのだろうか?
それはともかく 植田も永塩も民権活動家の仲間だった
上京後の卓を知るには 前田家より宮崎家を追いかけろということか・・・
というところで今日は終わり
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]