![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/93/fdf1c122f3179994ae421b6ffffaabcf.jpg)
小堀四郎「人生とは」 1972
昨日は食べ物のことから小堀杏奴や鴎外に話が及んだ
そして それが荷風と阿部雪子が知り会うきっかけに繋がった
変人の一人暮らし老人・荷風を支えるネットワークがあった
それを知ったことが新たな成果だっといえようか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/03/6dcc0f75fd408479ac5c2badc10d0f6a.jpg)
阿部雪子に関しては 既に書いた以上の情報は殆ど見つからなかった
ただ 一昨日のブログで書いたように
"相磯凌霜の本宅が現・大田区の池上本門寺の近くにあった" と知った
阿部雪子の家も現・大田区南千束だったはず・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/24/bdd73c55f2cdf66f920dcad2889d80d4.jpg)
洗足池
2人が知り会いだったとは「日乗」の何処にも出て来ない
けれども2人は頻繁に市川の荷風の家や海神の相磯別邸を訪れている
行き帰りの電車に乗り合わせて話をしたとも想像できる
それより 荷風との話を通じて互いの存在を知っていた と思う方が自然か
1959/S34年4月30日 荷風は逝去した 享年79歳だった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/fa/f99fa1940b81c09ca79c145084bbd4ec.jpg)
通夜・葬儀は相磯(後列左から5番目)がすべて取り仕切って荷風宅で行われた
相磯は 荷風の死後に次の文章を執筆している・・・原文のまま
”お通夜の晩からお葬式にかけて、銀座の或る酒場の女が、
私が先生の愛人でしたと言わんばかりの素振りで、
群がる新聞や雑誌の記者に自分を売り込んでいる嫌らしさに引きかえ、
偏奇館時代から密かに通い続けていた某女が、
お通夜にもお葬式にもひっそりと誰とも口をきかないで、
つつましくお焼香だけをして帰っていった床しい後ろ姿に、
私は思わず目頭を熱くしてしまった"
残念ながら 阿部雪子の生年も没年も以後の消息も不明だった
しかし この相磯の筆による彼女の存在を知れば十分だろう
以上で 長かった荷風シリーズも終わりたい
さて次は誰にしようか それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]