彼岸西風忘れたくても頬なでる
知ってると思うことこそ無関心
砂の国なる日本の国は
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2008年に発表された小説「砂の城」(近代文芸社)は1896年(明治29年)の三陸大津波を取り上げた。
博物館で大津波を記録した図録と出合う小学校教師を通して、その恐ろしさを伝える物語だ。
宮城県気仙沼市のリアス・アーク美術館で現在館長を務める山内宏泰さんが本を書いたのは、図録の発見を機に開いた特別展が思わぬ不振に終わったからだった。
1カ月余りの開催で入館は約1200人。地域の歴史と記録に対する無知と無関心は図録と出合う前の小説の主人公の姿と重なる。
東日本大震災後、メディアは「砂の城」を予言の書ともてはやしたが、三陸沖でのマグニチュード7規模の地震発生は30年以内に90%の確率とされていた。
気仙沼市の津波被害もほぼハザードマップと合致していたのである。
「想定外、未曽有、千年に一度というのは、歴史と記録に向き合わなかったことの責任逃れにほかならない」。
貴重な図録の存在を世に伝えなくてはと発起した山内さんの無念である。
復興は光景の忘却と表裏一体である。だからこそ、被災の記憶を抱えた街づくりでなくてはならない。
建築史家の五十嵐太郎さんの著書「忘却しない建築」にあった。反省と風化の繰り返しを断つヒントと捉えたい。
「この国は、まるで波打ち際の砂の城のように根元から洗い流されてしまう」。小説の一文が重く響く13回目の3月11日である。(北海道新聞卓上四季2023.3.11より)
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12年前の3月11日も土曜日でした。町内会の集まりで高齢者の援助をする勉強会でした。
少し強めの揺れが結構長く続き、スマホで地震情報を見たのを記憶しています。
その時津波の文字も見えました。その後はあの光景が次から次へと放映されました。
丁度その時亡くなった方の様子を画面から消す仕事をしていた友人は、うつ病に罹り離職しました。
私にも東日本大震災について直接関わってしまった出来事でした。
災害は忘れない事、忘却の彼方に流れないようにすることですね。
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今日は俳句の例会、いつものことながら苦戦が続いております。
今日から司会もしなくちゃならないかも・・。
高齢者ばかりの句会もいろいろ大変です。
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