ここ何年か、年初め1月にはDRUM TAOのオーチャード公演に行くのが恒例になっています。
今年も彼らのライブを観に行きました。
この公演は、ミュージカル等の演出で知られる宮本亜門さんが手がけた物。
アタシは去年の東京ロングランでこの公演の内容を知りましたが、とても感激したのを覚えています。
とにかくDRU TAOの新しい挑戦が前面に打ち出された内容であり、今までのライブとは全く違う魅力に満ちていました。
この公演での最大の魅力は、メンバー達の「演技」です。
一つのストーリーが和楽器の演奏と、メンバーの「台詞の無い芝居」で観客達に語られてゆきます。
TAOのライブでは曲の持つ性格上メンバー達の表情も変わってゆきますが、今回はほぼお芝居の「舞台」です。
舞台のお芝居を何回か観て来ましたが、TAOのメンバーは彼ら俳優達にも負けない位お芝居が上手でとても驚きました。
しかも台詞が無いのです。自分達の表情と動き、そして演奏で一つの物語を演じました。
一つの村があり村人達は平和に暮らしていましたが、ある日天災によって村の小さな男の子が両親を失います。
彼は寂しさに打ちひしがれますが、村人の打つ太鼓に魅せられ自分も叩いてみたいと思いました。
一人の男が彼の視線に気付き、バチを渡し太鼓を教えます。
毎日毎日練習し、彼は太鼓の上手な立派な青年に成長しますが、あの天災によって全てを失い怒りと憎しみに満ちた他の村の男達が登場します。
彼らは青年の居る平和な村を襲い、人々達から自分達が失った物を奪い去ろうとしているようです。
真っ黒な衣装に身を包み、髪を振り乱し、その表情はまるで非情な鬼の様。
平和な村の男達は彼らから村を守るため、闘う事を決意します。
物語の前半はこんな感じです。
楽しげな村の風景を表すのに、ライブの冒頭では獅子舞が客席から登場し、太鼓や笛の演奏に合わせて踊ります。
お面を被った男性もやって来て、客席の観客の女性の肩を抱いたりして、舞台上にいるこれもまたお面を被った女性が怒ります。二人は夫婦なのですね。
村人の演奏や獅子舞、夫婦喧嘩でてんやわんやになっていると、ひらひら飛ぶちょうちょを追って、小さな男の子が登場。
喧嘩している夫婦はこの男の子の両親です。
もう、この冒頭で度肝を抜かれました。
今までのTAOには無かった事が満載すぎです。
獅子舞ですよ。全然、普通に。
お面を被った男女は誰か分かりません。最後まで明かされません。
そして「小さな男の子」はなんと、人形です。
黒子が3人程で操作しています。
この誰もが当然ですが楽器を手にしていません
今までも楽器を手にしないでパフォーマンスするメンバーは居ましたが、まるでパフォーマンスの内容が違います。
しかし、獅子舞、演技、人形操作、どれもクオリティが高くて素晴らしいのです。
「TAOって凄いなぁ・・・。何でも出来るんだなぁ・・・。」
と、アタシは口をあんぐり開けてステージを見ているしか出来ませんでした。
舞台の背面にはスクリーンが張られており、場面の内容に応じて様々な映像が映し出されます。
天災とは噴火です。スクリーンには火山が映し出され、地響きの様な音を立ててその火口から炎が噴出すと、舞台に居る村人達は逃げ惑いました。
舞台のお芝居でもそうですが、舞台上では物語が進行しているので、誰もがその状況下に置かれているわけです。
即ち、誰もが「芝居」をしていなければならない訳で、TAOのメンバーも皆していました。
いつもとは全然勝手の違うライブに観客も驚きましたが、きっとそれ以上にTAOのメンバー達の方がに沢山の驚き、戸惑い、あるいは一種の「反発」を乗り越えてのこの公演だったのではないかと強く感じます。
確かに、全然違いました。
演奏をしていないのに、ただそこに立ち尽くしているだけの長い時間もあったし、演技とは言えTAOのメンバーが今まで観客に一切見せた事のない不安気であったり、憎しみであったりするネガティヴな表情もありました。場面転換も全てメンバーがやっているのでいつも以上に、相当、かなり、大変だったと思います。
しかし、アタシはずっとこんなTAOが観たかったのです。
「こんなのTAOじゃない!!」と言われるのを恐れず、変わってみる、やってみる。
そう言う事が必要だと感じるからです。
変化し進化する事は、きっとどんな物にも必要なのではと思うんです。
それはずっと右利きで生きて来たのに、突然「左利きになりなさい、練習しなさい。」と言われる様な事かもしれません。
驚きと戸惑いと反発。至極、当然の事だと感じます。
だけどきっとその人がそう出来るから、「やってみて。」と言っているんだと思います。
結果、TAOは今までの倍、出来る事が広がったんじゃないかと思うんです。
右手も左手も使えるように。
でも、TAOのテレビの特番で宮本亜門さんが「自分も今までのTAOの世界が好きだし、自分が関わる事でTAOの世界が変な方向へ変わってしまったと思われたくない。」と仰っていた通り、元あるDRUM TAOの世界観は失わずに見事に融合していたとアタシは思いました。
つづく。
今年も彼らのライブを観に行きました。
この公演は、ミュージカル等の演出で知られる宮本亜門さんが手がけた物。
アタシは去年の東京ロングランでこの公演の内容を知りましたが、とても感激したのを覚えています。
とにかくDRU TAOの新しい挑戦が前面に打ち出された内容であり、今までのライブとは全く違う魅力に満ちていました。
この公演での最大の魅力は、メンバー達の「演技」です。
一つのストーリーが和楽器の演奏と、メンバーの「台詞の無い芝居」で観客達に語られてゆきます。
TAOのライブでは曲の持つ性格上メンバー達の表情も変わってゆきますが、今回はほぼお芝居の「舞台」です。
舞台のお芝居を何回か観て来ましたが、TAOのメンバーは彼ら俳優達にも負けない位お芝居が上手でとても驚きました。
しかも台詞が無いのです。自分達の表情と動き、そして演奏で一つの物語を演じました。
一つの村があり村人達は平和に暮らしていましたが、ある日天災によって村の小さな男の子が両親を失います。
彼は寂しさに打ちひしがれますが、村人の打つ太鼓に魅せられ自分も叩いてみたいと思いました。
一人の男が彼の視線に気付き、バチを渡し太鼓を教えます。
毎日毎日練習し、彼は太鼓の上手な立派な青年に成長しますが、あの天災によって全てを失い怒りと憎しみに満ちた他の村の男達が登場します。
彼らは青年の居る平和な村を襲い、人々達から自分達が失った物を奪い去ろうとしているようです。
真っ黒な衣装に身を包み、髪を振り乱し、その表情はまるで非情な鬼の様。
平和な村の男達は彼らから村を守るため、闘う事を決意します。
物語の前半はこんな感じです。
楽しげな村の風景を表すのに、ライブの冒頭では獅子舞が客席から登場し、太鼓や笛の演奏に合わせて踊ります。
お面を被った男性もやって来て、客席の観客の女性の肩を抱いたりして、舞台上にいるこれもまたお面を被った女性が怒ります。二人は夫婦なのですね。
村人の演奏や獅子舞、夫婦喧嘩でてんやわんやになっていると、ひらひら飛ぶちょうちょを追って、小さな男の子が登場。
喧嘩している夫婦はこの男の子の両親です。
もう、この冒頭で度肝を抜かれました。
今までのTAOには無かった事が満載すぎです。
獅子舞ですよ。全然、普通に。
お面を被った男女は誰か分かりません。最後まで明かされません。
そして「小さな男の子」はなんと、人形です。
黒子が3人程で操作しています。
この誰もが当然ですが楽器を手にしていません
今までも楽器を手にしないでパフォーマンスするメンバーは居ましたが、まるでパフォーマンスの内容が違います。
しかし、獅子舞、演技、人形操作、どれもクオリティが高くて素晴らしいのです。
「TAOって凄いなぁ・・・。何でも出来るんだなぁ・・・。」
と、アタシは口をあんぐり開けてステージを見ているしか出来ませんでした。
舞台の背面にはスクリーンが張られており、場面の内容に応じて様々な映像が映し出されます。
天災とは噴火です。スクリーンには火山が映し出され、地響きの様な音を立ててその火口から炎が噴出すと、舞台に居る村人達は逃げ惑いました。
舞台のお芝居でもそうですが、舞台上では物語が進行しているので、誰もがその状況下に置かれているわけです。
即ち、誰もが「芝居」をしていなければならない訳で、TAOのメンバーも皆していました。
いつもとは全然勝手の違うライブに観客も驚きましたが、きっとそれ以上にTAOのメンバー達の方がに沢山の驚き、戸惑い、あるいは一種の「反発」を乗り越えてのこの公演だったのではないかと強く感じます。
確かに、全然違いました。
演奏をしていないのに、ただそこに立ち尽くしているだけの長い時間もあったし、演技とは言えTAOのメンバーが今まで観客に一切見せた事のない不安気であったり、憎しみであったりするネガティヴな表情もありました。場面転換も全てメンバーがやっているのでいつも以上に、相当、かなり、大変だったと思います。
しかし、アタシはずっとこんなTAOが観たかったのです。
「こんなのTAOじゃない!!」と言われるのを恐れず、変わってみる、やってみる。
そう言う事が必要だと感じるからです。
変化し進化する事は、きっとどんな物にも必要なのではと思うんです。
それはずっと右利きで生きて来たのに、突然「左利きになりなさい、練習しなさい。」と言われる様な事かもしれません。
驚きと戸惑いと反発。至極、当然の事だと感じます。
だけどきっとその人がそう出来るから、「やってみて。」と言っているんだと思います。
結果、TAOは今までの倍、出来る事が広がったんじゃないかと思うんです。
右手も左手も使えるように。
でも、TAOのテレビの特番で宮本亜門さんが「自分も今までのTAOの世界が好きだし、自分が関わる事でTAOの世界が変な方向へ変わってしまったと思われたくない。」と仰っていた通り、元あるDRUM TAOの世界観は失わずに見事に融合していたとアタシは思いました。
つづく。